モヤモヤ駐妻の頃の吐き出し

日本人コミュニティ

新米駐妻だった頃、夫の会社関係の人・日本人コミュニティに囲まれて素の自分が出せなかった。
「嫌われたら夫が、ひいては自分もヤバいかも」という緊張感で腹の底を縛られたまま「帯同先でできた友達」と交流していた。

日本人同士で固まりすぎてる人も苦手だし、それを見下してる国際派の人も苦手だし、 苦手苦手で人を嫌ってばかりの自分も嫌になった。
日本人と他の国の人との関わりが同じくらいの配分感覚の人が一緖にいて気楽だけど、警戒しながらでの交流ではなかなかそこまで見抜けない。


気に入られても嫌われてもモヤモヤする相手がいた。
当時はコミュニティ内の人と人との距離が近く、とにかく何をしても息苦しい時期があった。
距離を置いて付き合えたらきっとまだマシな感情を抱けた人もいたと思う。
そして、結局嫌われるよりは気に入られるほうが楽に過ごせそう、と思ってずるずる集まりに参加したり、イエスマンになっていた。
ハブられたら「ハブられる自分が悪いのかも」とまた自己嫌悪。

自分には甘いくせに他人に対する許容範囲は狭い。
そんな自分は日本人村のようなところで合わない人とやっていくのがしんどかった。

ハブられながらも意地で参加してみた「オチャカイ」

「オチャカイ」に限らず、誰かの家に行くときは手土産のお菓子が暗黙のルールだった。
ある時、お菓子を選んでると、夫が「今回の貢物は何?意味あるの?」と本心を代弁してきた。

これでも大分お呼びがかからなくなった方だし、たかがお菓子でその場の雰囲気が保てるなら安いものだ。一体誰の立場が悪くならないように私が気を使っているのか。

夫が稼いでくれたお金をこんな人達と付き合うのに使ってしまうのか。

相反する気持ちが私の中でぶつかり合い、菓子を買うだけで気分が悪くなるくらいには情緒が不安定だった。


私が精神的に幼かったことと、海外の日本人コミュニティは本当に相性が悪かったと思う。
今更何をいったところで、何も過去は変わらないのだけれども。

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