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駐妻前と後の変化

駐妻になる前と本帰国後でいくつか考え方が変わったことがある。

そのうちの1つが「見た目」と「街中で絡んでくる人に対して」の考えである。

子供を持つと異様に外界とつながる

乳幼児の育児を経験された方にはわかると思うが、幼い子供を連れていると、兎角赤の他人から道端で話しかけられる機会が異様に増える。

たいていは子供好きな優しい親切な人であることが多いが、中には日々育児に奮闘している若い親を傷つける言動をかましてくる人もいるのが現実だ。

前者の優しい方には子育ての疲労を癒されるが、後者には突然理不尽に傷つけられることの悲しみと屈辱感を覚える。
具体的には、年嵩の他人に、育児ですでに気にかけていることや心配事をわざわざほじくり返されたり、現代の育児を昭和の育児と比べて一方的に非難してくることが多い。

結果、子連れでの外出時に「他人に話しかけられないようにする」というミッションが加わってますます気苦労が絶えないのだが、こうした『若い世代をギャフンと言わせたい』という歪んだ欲求にまみれた人ほど、警戒していても近づいてくるのだ。

日本で妊娠中~出産して渡米するまでは、こうした現象は親として受け入れないといけない現象なのかと諦めていた。

見た目で獲物認定をされている疑惑

アメリカ生活が始まり、なぜか日本人同士の人間関係で揉まれてから
「自分を攻撃してくる人」について考えることが増えた。

考えているうちに「攻撃してくる人は、相手を見て攻撃するか判断をしている」と仮定すると納得できることがあった。

例えば見た目。
出国前の新米ママだった頃は「ママになったんだから」とお花畑脳だった。
「ふんわり・パステル・優しい」がキーワードになるような、いかにも優しそうな格好をして華奢な日本製ベビーカーでトロトロ歩いていた。
動きも頭の回転も遅そうで、もし私が攻撃側なら格好の獲物だと思う。
しかも子供がいて過激な反撃をしてくる可能性も低い。

アメリカ生活で「誰にでも優しくしていると、誰からも優しくされないような奴も寄ってくる」と悟ったが、以前の私は完全にカモだった。

帰国後の見た目の変化

こうして、アメリカにいる間に「優しいママ」らしい服を処分した。
ママ服に比べたら話しかけづらい雰囲気になる服を纏い、サングラスを愛用するようになった。

サングラス。それはアメリカに於いてはお洒落ではなく、目を守るための装備品。冬でも日差しが強ければかけていたので、帰国後もその習慣が抜けずかけ続けている。

それからアメリカ製のゴツいベビーカー。帰国してからはとにかく忙しかったので、大きな車体で暴走特急状態だった。
一度すれ違いざまに「あら嫌だ。戦車みたいで話しかけづらいじゃない」と、見知らぬ婦人にボソッと言われたが願ったり叶ったりである。

「子連れで急いでてとにかく絡まれたくない時は強めファッションおすすめ!話しかけられる確率が下がる!」

こうした趣旨の投稿を以前どこかで読んで試してみたが、まさにその通りだった。必要に応じて「優しいママ」のコスプレをしたことがあったが、その時と比べて、変な奴らが近寄って来ない。


まとめ

妊娠中は輝かしく見えた「ほっこり・ふわふわ・優しいママ」のイメージが、色々な人に傷つけられてからは「キチガイホイホイ」にしか見えない。
新米ママの頃は、ママらしい服を着ようと思ったが、子供を産んだらママらしい格好をしなきゃいけないルールなんてないのだ。むしろ子供にも危害を与えそうな奴を惹きつける服、ママの服としては相応しくない。

私の仮定が合っているか、次に「若い世代にご高説を垂れ流したい系」の人に絡まれたら、「それを言っても反撃しないと思ったから私に聞いてくるのですか?」と尋ねてみたいと思っている。

しかし、残念ながら性格と見た目が変わってからは、ほぼ絡まれたことがないので未だ実現していない。


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