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映画『グレイテスト・ショーマン』(2017)の感想

映画『グレイテスト・ショーマン(原題:The Greatest Showman)』を映画館で観てきた。公開当時は見逃していたので、日比谷のTOHOシネマズで見られて、ラッキーだった。

お客さんも、8割ぐらい入っており、人気の高さが窺えた。

監督はマイケル・グレイシー、主演はヒュー・ジャックマンである。2017年製作、19世紀アメリカの実在の興行師のバーナムの半生を描いたミュージカルである。

とにかく、生身の人間のパフォーマンスに圧倒される。そして、ある種の成り上がりの物語でもある。

ヒュー・ジャックマンは、何をやっても、ヒュー・ジャックマンである。この構文は否定的なニュアンスで使われることが多いが、スターとは、そのようなものである。それがスターたる所以なのだ。

立身出世して、その後の下り坂まで描かれる。観客を騙してお金を稼いでいる、と娯楽産業は非難されることもあるが、テクノロジーの業界だって顧客に夢を見せて金をむしり取ろう、とする点では同じことをしている。商売とは大なり小なり、文脈や夢も含めて、売るものだ。消費者とは自分にとって心地の良いもの、自分のブランディングの一つとしてモノやサービスを購入する。

当初、バーナムは、ヘンテコなものを展示する博物館を作っていたのだが、全然客が来ない。娘たちに「生きているもののほうがいい」と言われ、方向転換する。

そして、ユニークな人(異形の者)たちを集め、パフォーマンスを行うのだが、喝采もあれば、反発もされる。

サーカスの団員の一人を演じたゼンデイヤの美しさというのはあらためて独特なものを感じる。彼女の恋のパートというのも、全然甘くない。にがくて、くるしい展開に身悶えするが、ここが抑制されているからこそ、映画としてゆるまなかったのかなとも思う。差別される側の苦しみはそう簡単に解消されることはない。それがきちんと描かれている。

世間から否定的な扱われてきた人たちを「普通」に扱っただけで寛大だとか寛容だとかいう表現が使われたりするが、それもおかしな話なのだ。もっと違う基準で、他者と対峙しなければならないのに、世間に惑わされてしまう。自分の軸と基準の危うさにもっと敏感になったほうがいい。そして、他人に優しくできるときは、自分に優しくできているときだとも思う。(性根の腐っている人もいるけどね笑)

だから、自分に合う場所、受け容れてくれる環境を探すことも、大事なのだと思う。この映画で踊り狂う人たちは、その場所を見つけた人たちだから、輝けたのだと思う。これぞ、エンターテイメントであった。

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