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#映画感想文322『エドガルド・モルターラ ある少年の数奇な運命(原題:Rapito)』(2023)

映画『エドガルド・モルターラ ある少年の数奇な運命』(2023)を映画館で観てきた。

監督・脚本はマルコ・ベロッキオ。

2023年製作、125分、イタリア・フランス・ドイツ合作。

1858年、ボローニャのユダヤ人街に暮らすモルターラ家に、カトリックの教会の人たちがやって来て、「エドガルドはカトリックの洗礼を受けたので、ユダヤ教を信仰すべきではない」と突然宣告して、彼を連れ去ってしまう。誘拐であるのだが、警察は動かない。誘拐であることをイギリスやアメリカのメディアに訴え、それが報道され、金貸しのロスチャイルドが苦言を呈するも、息子のエドガルドは帰ってこない。

エドガルドに洗礼を施したのは誰なのか。それは当時のベビーシッターの女性で、「ユダヤ教のままでは地獄に落ちてしまうから」がその動機付けであった。うーん、余計なことをしやがって、としか思わないのだが、カトリックが政治的な勢力であり、ある種の部族であると考えると、いろいろ合点がいく。

エドガルドは物覚えがいいので、キリスト教の教義もどんどん覚えていってしまい、暗唱もすらすらこなせてしまう。教育とは洗脳なのか。結局、エドガルドはカトリックの司祭となり、その生涯を終えることになる。

ユダヤ教の教えを忘れ、家族のことも捨て去った結末に驚いた。ただ、それはキリスト教の成り立ちとユダヤ教の関係が大きく影響していることは間違いない。磔のキリストを毎日見ていたら、ユダヤ教に否定的な感情を持ったとしてもおかしくない。そして、イタリアの多数派はカトリックであり、社会の多数派であった方が物事はスムーズに進むし、社会的な地位を引き上げる効果もある。ゆえに、エドガルドは実利を取ったとも言える。そして、毎日の刷り込みを消し去ることは難しい。

近代社会、法治国家を基準に考えると非常に恐ろしい事件なのだが、部族が起こした事件だと考えると、それほど違和感がない。社会は、どんどん良くなっているのだが、少し前はその程度であったことを忘れてはならない、とも思う。(1858年の日本だって、それほど文明的ではなかっただろう)


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