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スーパー銭湯で漫画を読む

スーパー銭湯に行ったら、休憩コーナーで漫画を読む。それが楽しい、というより、流行を把握するためにやっているようなところがある。

今回は『怪獣8号』『チェーンソーマン』『SPY×FAMILY』を読んだ。(後ろの二つは最初の三巻だけ)

驚きだったのは、どれも登場人物たちが労働することは当たり前で、『怪獣8号』と『チェーンソーマン』は食うに困るから働いている感が満載であったことだ。夢がまぶされているが、労働とそれにまつわる組織と権力の物語ではないか。そして、主人公はそのままの人間だと戦えないので、異界の者と取引をしてパワーを得て、自己破壊することで、人間的限界を超越する。

『新世紀エヴァンゲリオン』と『進撃の巨人』の影響も色濃い。ただ、碇シンジ君とエレンには「なぜ闘わなければならないのか」「なぜ、わたしたちはこれほどまでに不自由なのか」といった根本的な問いがあった。それは現実の我々が抱えているものと似ている。

『怪獣8号』と『チェーンソーマン』この二作の主人公は、組織や体制に組み込まれていることに忸怩たる思いは抱えておらず、その疑問すら抱いていない。権力と組織に盲目的に従順というか、組織の中でしか生きられないことを知っている若者たちの、貧困が前提となっている。それは生活のために会社員になるしかない我々の鏡でもある。

ああ、息苦しい。組織に組み込まれ、労働者として働き、出世がひとまずの目標。一億総社畜じゃん。こういう作品だと組織の罪って、無条件に免罪されそうだし、組織の論理が罷り通りかねない。

全巻読んでいないのにレビューを書くなと批判されても仕方がない。ひとまずの雑感である。間違っているかもしれない。(我ながら、言い訳が多い)

『進撃の巨人』のエレンは、最後に自らが自由であることを追い求めるがゆえに不自由になってしまったことを認め、自らを「自由の奴隷」と呼んだ。わたしは、そのエレンのことが嫌いになれない。

大人になれよ、と人は言う。ただ、それって、組織に所属して、組織を盲従して生きることなのか。確かに組織に所属しないとアクセスできない情報、できない仕事が多すぎるのかもしれない。

そして、この二作品はジャンプコミックスで、想定される読者は小学生だったはず。小学生にこれを読ませる大人の気が知れない。小学生に社畜的労働観をわざわざ刷り込むなよ、と思う。

まあ、読者も高齢化しているのだろうけれど、二十年前なら青年誌で連載されていた作品なのではないだろうか。社会は成熟せず、未熟なまま老化しているのだろう。

わたしたちは食うに困っている。だから、疑問を持たずに社会のシステムに組み込まれよう。青臭いこと言ってないので働けと日本国憲法27条(「勤労の義務」)も、そう言っている。しかし、国家的な組織を美化する危うさに、もうちょっと慎重になるべきではないかと思う。

貧すれば鈍するで、哲学的な思考は贅沢品なのか。確かに貧乏なときって、それどころじゃないんだよな。まあ、スーパー銭湯で、漫画を読んでいるわたしも、豊かさにはほど遠い。でもね、少年漫画作品はもっと遊んでいいし、遊ぶべきだと思う。


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