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第16週 水曜日 教育者・学者 中根千枝

16人目の教育者学者は社会人類学者の中根千枝さんです。

中根 千枝(なかね ちえ)さんは、1926年(大正15年)11月30日 、東京都のご出身です。

お父さんは弁護士であったそうです。

愛知県岡崎市に移り、岡崎市立投尋常小学校(現・岡崎市立根石小学校)に入学されます。
6年生の秋まで在学したのち中国に渡り、6年ほど、北京で暮らしておられます。

その後東京に戻られ、東京府立第八高等女学校(現・東京都立八潮高等学校)、津田塾専門学校外国語科を卒業されます。

その後東京大学文学部東洋史学科卒、同大学院を修了されています。1952年 東京大学東洋文化研究所助手になられました。


東北から鹿児島までの農村の調査を経た後、人類学の研究を世界各地で行われます。

1953年(昭和28年)にインドに3年、1959年(昭和34年)から1962年(昭和37年)にかけてはイギリス、イタリア、その他シカゴ大学、ロンドン大学で研究を積まれます。

インドの奥地アッサムを探検、調査したものをまとめた『未開の顔・文明の顔』を1959年に刊行し、毎日出版文化賞を受賞されます。

その後日本に戻ると、月刊誌『中央公論』から「どんなテーマでもいいから論文を書いて」といった注文を受け、「日本の集団構造はどこでも同じ」というテーマを思いつかれました。

ホテルにこもり、2週間ほどで「日本的社会構造の発見」(『中央公論』昭和39年5月号)を書き上げたところ、猪木正道氏がその論文を評価した事も手伝い複数の出版社から書籍化の話を持ちかけられ、論文を加筆・修正した『タテ社会の人間関係』を1967年に(昭和42年)に刊行されます。


この本は現在までに124刷116万部超のロングセラーを記録し、イギリスで出版された英語版は、13カ国で翻訳出版されました。


その後女性で初の東京大学助教授、教授、東京大学東洋文化研究所所長(国立大学初の女性研究所長)、女性初の日本学士院会員などを歴任され、

1990年(平成2年)に紫綬褒章、1993年(平成5年)に文化功労者、2001年(平成13年)に学術系としては女性初の文化勲章を受章されています。

また2002年から2004年まで 東京女学館大学初代学長を務められ、
2014年 津田梅子賞を受賞されています。




たくさんある著作の中のいくつかを紹介します。



めぐめぐがすごいと思う中根千枝さんのこと

1自分の顔となる論文を執筆されるまで様々な場所で調査し、研鑽を積まれていること。

2世界に知られた日本の女性研究者であり、日本社会を語るには欠かせない本を書かれていること。それももとは2週間で書いた論文だということ。

3そして後進の女性研究者のために多く貢献されていること。

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