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独学で学ぶ仏教の限界

 私は、独学で仏教を学んできた。しかし、最近になって、独学で学んだ仏教は、幻想に過ぎないことに気づいた。
独学で仏教を経典や書物だけで学ぶと、頭で考えるだけで、実践が伴わない。そのため、仏教の教えを理解したつもりになっていても、実際には理解していないことが多い。
 それは、自作自演の物語で満足しているようなものだ。仏教用語で固めたバーチャルリアリティに浸っているだけなのだ。
そのような独自の仏教思想は、砂上の王閣にすぎない。すぐに崩れ去ってしまう。
やはり、仏教を学ぶには、心と体が伴った思考が必要だ。

 独学で仏教を学ぶことは、仏教の理解を深める第一歩にはなるだろう。
しかし、最終的には、実践を伴った師弟関係の中で、仏教を学ぶことが重要である。

言語の限界

 私たちは、言語を使って、さまざまな情報をやり取りする。しかし、言語は、私たちの思考を正確に伝えてくれるわけではない。
言語は、あくまでも記号であり、その記号が表す意味は、私たちの解釈によって変わる可能性がある。
たとえば、同じ言葉でも、人によって、異なる意味を持って理解されることがある。仏教用語も宗派によって異なる解釈されることがある。
また、私たちは、都合のいいように、言語を解釈することもある。
たとえば、自分が信じたいことを、言語を使って正当化しようとしたりすることがある。

 このように、言語は、私たちの思考を、私たち自身が気づかないうちに、歪めることがある。
そのため、言語で分かった、理解したと脳で思っても、本質を理解したとは言えない。
本質を理解するためには、言語を越えて、直接的に現実と向き合うことが必要である。

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