また不思議タイムでございますよ、の話

さて、今回はこちらの記事の続きでございます。

不思議の舞台は1434年のチェコの裁判記録です。
暫定的に、『1434年クトナーホラ議定書』と呼ばせていただきますね。

このクトナーホラ議定書のチェコ語の本文をスマホで翻訳したとき、設定をちゃんとしなかったがゆえにシッチャカメッチャカな日本語訳になってしまった、というのがそもそもの発端。

で、そのシッチャカメッチャカな翻訳の中に、前触れなしにメッセージ性の強い日本語があらわれて、それがまるで、私に向けて発せられているようだというのが前回の「アレシュの手紙」の投稿内容でした。

今回、クトナーホラ議定書の本文を再び翻訳してみたのです。
シッチャカメッチャカな翻訳になるよう、設定言語は前回と同じ「英語」としました。
いざ、翻訳をしてみると、前回同様シッチャカメッチャカであることは変わりないのですが、メッセージ性の強い部分の翻訳が、前回と違っていたのでびっくりしたので今回記事にしました。

前回の訳文は

【あなたの仕事を徹底的に追求し、私は自分の仕事を徹底的に追求し、私は自分自身を知ることができ、ネダバリを見つけてください。私のミルヒスは、私たちの人生をもっと楽しく、そして楽しいものにします。】

でした。

で、今回はどんな翻訳になったかというと、こうです。

【あなたの安全を第一に考えて、私は自分の人生を最大限に活用し、私は自分自身を知ることができ、ネダバリを見つけてください。私のミルヒス・チェスト・ア・ズヴェレベニエ・ナ・シェホ・ジャジカ・チェスケホ・ジェクリ・ジスメ・ジム・トーホ・ウチニティ。チャスティッチ、ジミシュ・スゥ・ク・ザフビェ、トホ・クレノタ・ムノホ・バイリ・トラペニ、ダヴァメ・ジム・プルヌー・スヴォボドゥ、アビ・ク・ニム・ネビル・プゼニ・ヴィク・ベズディニェを見てください。】

なんじゃこりゃ!
同じ設定なのに、なにゆえ前回と翻訳結果が変わってしまっているんでしょう。

ともあれ、この訳文の意味を私なりに汲み取ってみましょう。

まず、『あなたの安全を第一に』って、こらはチェコ旅行をしようとしているアタクシに対しての言葉になっているざますか?
ありがとう、アレシュ。

そして、次。
『私は自分の人生を最大限に活用し…』
ここでいう『私』とは1434年に生きたアレシュの一人称でしょう。
で、意訳すると『私は自分の人生に対し、最大限尽力してきました。そして、この人生が何のためのものだったのかを知ることができました。』

うんうん、意味が通りますね。
で、それ以降の文にははカタカナが増え、シッチャカメッチャカに侵食されていっているようでもあります。遠い次元から発した電波が、だんだん途切れるような感覚ですね。

でも、そのカタカナはチェコ語に対応しているはずです。

『ネダバリ』は、「見つけられなかったもの」という意味です。なので、アレシュの人生では得られなかったものの探索を、私の人生に託したというメッセージだと捉えることができます。

『私のミルヒスは』から、本格的にシッチャカメッチャカになって行きます。

ミルヒスとは、愛情や情熱、という意味となります。
文脈的に、以降のカタカナ部分は、アレシュが人生で最も情熱を注いだことが何だったのかについて書いてあるのだと感じました。

カタカナの部分に対応するチェコ語を改めて翻訳してみると、こんなふうになります。

【チェスト・ア・ズヴェレベニエ・ナ・シェホ・ジャジカ・チェスケホ・ジェクリ・ジスメ・ジム・トーホ・ウチニティ。チャスティッチ、ジミシュ・スゥ・ク・ザフビェ、トホ・クレノタ・ムノホ・バイリ・トラペニ、ダヴァメ・ジム・プルヌー・スヴォボドゥ、アビ・ク・ニム・ネビル・プゼニ・ヴィク・ベズディニェ】

【čest a zvelebenie na šeho jazyka Českého řekli jsme jim toho učiniti. Také od těch vojen častých, jimiž sú k záhubě toho klenotha mnoho byli trápeni, dáváme jim plnú svobodu, aby k nim nebyli puzeni víc bezděčně】

訳:チェコ語の名誉と向上のために、私たちは彼らにそうするように言いました。また、多くの人がその宝石の破壊に悩まされている頻繁な戦争からも、私たちは彼らに完全な自由を与え、彼らがこれ以上知らず知らずのうちに彼らに追い込まれることがないようにします。

要約すると、チェコ語の名誉の向上と、民衆が平和に暮らせるように尽力する、ということです。

ここで重要なのが、単なる民衆の平和だけでなく、チェコ語の名誉の向上、とあります。

奇しくもわたくし、現在調べているフス戦争についてのことを書籍化するときは、簡単なチェコ語訳もそえて、チェコの人にも読んでもらえるものにしようと考えておりました。

これは、研究太郎としての私がそう思っているのもありますし、私の中に生きるアレシュの願いでもあると感じることがあります。

良い意味で前世の魂と同化しつつあるということでしょうか。

そして、この身に起こる様々な不思議な出来事についても、単なる不思議ではなく、哲学的な深みをもったメッセージが含まれていて、それらは今世の私に向けて贈られた、アレシュたちからのエールのように思えてとても嬉しいです。

と言ったところで、今回の記事はおしまい。

続報あればまた書きます。

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