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言葉はわからずとも、の話

嬉しいことに、たまにYouTubeで「フス戦争」についての解説動画を見つけることがあります。

もっぱら外国語で、何を言ってるかはほとんど分かりません。ですが、動画の作りがとても凝っていて、画面を見るだけで「これは◯◯の戦いのことを言ってるんだな」というのが分かって、大変にありがたいものです。

そんな動画作成の方へのリスペクトの気持ちはありつつ、しかし同時に「それ違うざます」と指摘したくなる気持ちも芽生えます。

多くの解説者は、フス戦争とは「ヤン・フス」が異端として焚刑に処されたことへの報復のために起きた戦争だ、というふうに述べるのですが、私が調べた限りではそうじゃないのです。

フスが焚刑に処されたのは1415年で、フス派が大規模な武力蜂起をしたのが1419です。

その4年間、ボヘミア王国におけるフス派は弾圧されたりはしておらず、むしろボヘミア王は彼らを黙認し、時には優遇し、自身の勢力下に置こうとさえしていました。

ところがボヘミア王の異母弟でローマ皇帝の「ジギスムント」からの外圧が強くなると、それになびくためにボヘミア王はフス派の切り捨てを行います。
それまでの黙認・擁護から一転して、追放と弾圧に舵を切ったのです。
それによって居場所を失ったフス派が、ボヘミア王と皇帝ジギスムントに対して反乱を起こしたというのがフス戦争の発端なのです。

それを解らぬ解説者の多いこと。動画の尺の都合もあるのでしょうが、戦争の動機は正確に調べて発信すべきだと、私は思います。

さて、フス戦争の初期こそ「カトリックからの弾圧から自衛するため、止むを得ず武力蜂起した」という大義名分がありましたが、カトリックに勝利したのちは、フス派は自らの権力と財産の拡大のために戦争を続けるようになりました。

「それはいくらなんでも、生前のヤン・フスが言ってた事と真逆の事をしてるんじゃないかい?」

と、フス派のあり方に疑問と不満を持つグループが現れるのも必然でした。

フス戦争の後半は、フス派の武闘派と穏健派との間に起きた戦争とも言えるのです。

私は自身の前世探究をしてはいるものの、前世の記憶なんてものは全くありません。
だからこそ、より正確な情報を欲しているし、フス派の行動の奥底にある思想や感情などを加味した歴史というものを、現世に再構築したいと思っているのです。

「戦争が起きた」「その戦いで誰が勝利した」

という事象の羅列は、案外簡単なことです。調べれば判明することですから。

ですが、「なぜその戦争が起きたのか」「なぜその戦いで彼が死んだのか」を知るのと知らないのとでは、歴史が現世に与える価値というのが大きく変わって来ると思います。

特に、戦争が起こる原因なんて600年前も現在も大差はないというのが見えてきます。
そして、そんな「予測は可能だが、回避不可能」を繰り返す愚かさも。
さらに、そんな歴史の裏には、必ず戦争回避のために奔走している人間がいるんだ、というのも見えて来るはずです。

私の前世の「アレシュ・リーズンブルク」もそんな人物の一人です。
敵対する側の陣営にも、戦争を嫌悪しつつ、被害を最小限にとどめようと最後まで努力した人物もいました。

私は、歴史書を再編する際には、そういう人々の生き様をちゃんと描きたいと思っているのでございます。

これは誰にでもできる事じゃないかもしれませんね。


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