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第109話 聖母の手



 精査してみた。
エゴは“死”に直結するものを嫌うから、死の周辺にある“恐怖”を一つ一つ確認しては直視する。
 お金、パートナー、仕事、家族、孤独……。
そのどれもに反応するが、中でも群を抜いて感情と体が反応したのが、意外なことに『孤独』だった。
『孤独』、というものにフォーカスした途端に、それまでの比ではないほど、私の恐怖心が揺さぶられた。


 闇、闇、闇……。
“宇宙の始まりは音”だと聞くけど、その【音】が、【門】によって閉ざされている。
 夏至を来週に控え、なぜだか急に、すべての闇堕ちした人間達に対する“慈愛”のようなものが湧いてきた。

 くまなく全員、その本質とは純粋であり、だけどこの三次元にいるから異質だということ。それ故みんな、本当は(本当に)愛されるべき存在なのだということ。

 ただ、音が閉ざされたことによって闇を持ち、異質と化してしまった自分とは。そしてそれを取り繕おうとする、偽善者の自分とは。腹に堆積した“悪”を誤魔化すための、“善”のフリした“偽善”とは、一体全体何なのだろう。

 それらはまるで、悲痛な闇から逃れようとして罪を犯した息子と、それに対して「この子は悪くないんです。」と言ってただただ庇う、盲信的な母親の関係性のようだと思った。古い男性原理と、下支えする女性性。通じてない。わかってない。

 だからどんなにその人が深い闇を持っていても、愛される資格がないのではなく、“自分のやっていることをわかっていない”だけ。みんなたったのそれだけなのだ。
 であればこそ、どんな存在であっても無条件で『愛されていい』。

 ただし私自身は、そういった色々に気づいてしまった以上、自分の闇を『見て見ぬ振り』はできないのだ。
 懐中電灯をしっかり持って、深く、深く潜っていこう。自分の異質を削ぎ落とすまで。あらゆる自分を愛せるまで。


 そんな気づきがあった午後、久しぶりに……本当に久しぶりに、車を置いて、自分の足で買い物に出かけた。

 薄い水色に、白い雲が流れている。
優しい風が吹いている。
民家の庭では、アガパンサスとアリウムとが、自らの美しさを競うように背比べをして咲いている。
それから少し行くと、狭いコンクリートの隙間から、カタバミやカラスノエンドウといった雑草の花が、「私は私よ。」と誇らしげに凛としている。
小学校を通過する時、時々調子を外した音が混じったリコーダーの合奏が聴こえてくる。
『準備中』の札がかかった街場の食堂の奥のほうから、仕込みの湯気が上がっている。
 そのすべてが愛おしく思えた。

 すると唐突に、そしてしんみりと。

 スサナル先生が私のために作ってくれた世界とは、こんなに美しかったのだと、そんな想いで溢れかえった。
 すべてがキラキラと輝いていた。私の内側の細胞たちが、この世界と共に歌っていた。
 胸がいっぱいになって、目にたくさんの涙が滲んだ。




written by ひみ

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実話を元にした小説になっています。
ツインレイに出会う前、出会いからサイレント期間、そして統合のその先へ。
ハイパーサイキックと化したひみの私小説(笑)、ぜひお楽しみください。

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やばい!小説のストックが切れそうだ笑


最近の内容が、もはや哲学だ笑
イエスが、みんな自分で自分が何をやってるかわかってないだけなんだよって言ってたのはまさにこれ!

なんだけど一番厄介なのが、「もうわかった!もうオッケーだから」って言うエゴね。

前回、百と八つの煩悩回の後半でも書いたけど、この、わかってないのに「わかった」って切り上げちゃうエゴによって、足を掬われちゃうよー。

ハイヤーセルフと一緒にエゴを精査する練習をしていきましょう!


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→第110話 観音の手

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