群馬県の追悼碑撤去問題でモヤモヤ
そもそもこういうネタに普段そこまで注目してるわけではないのだけれど、最近のアイヌヘイト問題やらで目がいってしまうのか、群馬県の追悼碑撤去問題、ってモヤモヤする。
アイヌヘイト問題では、「アイヌは先住民族」っていうだけで「パヨク」って言ってくる輩がいるし、「群馬の追悼碑は手続き踏まえて撤去されるんだからしょうがないだろう」「この期に及んで撤去タイミングで集会してたらますます不利になるんじゃないの?」って言ったら「ウヨク」って言われる。
なぜ右か左かでみんな話を単純化しようとするのか。
そうした単純化した思考そのものを疑うことをなぜしないのか?
あるタイプの人たちは、複雑な思考をするのが苦手なので、考えるのを回避するために単純なのほうを選んでしまうのだ、という見解もあるらしい。なるほど。
で、この追悼碑問題について思うところ。
これ、たまたま1/24の山本群馬県知事と県側の記者会見を見てしまったら、ますますモヤモヤしまった。ここで note にまとめてるのは、そのモヤモヤを整理するためでもある。
※未見の方は以下を御覧ください。慰霊碑問題に関するところからスタートします。
知事側・県側には歴史修正の意図はまったくない。
記者会見で公式に発言してるのだから、これを否定する由はまったく無い。
↓ 山本一太県知事の記者会見24年1月25日はこちら。
都市公園法と最高裁の決定に基づいて行われており、かつ県側、知事も上記のように説明しているわけだから、碑の撤去は行政手続き上、仕方がないんじゃないかな。しかも撤去にかかる行政執行命令停止の申立てetcも地裁から却下受けてるって話だし。
撤去反対の人たちは「歴史修正主義だ!」とか言ってる人もいるようだけど、県側も知事もそうとらえてないことは記者会見を見ればよくわかる(あるいは記者会見をちゃんと見てないか、発言を理解してないかよくわかってないのか)。
さて、ただ問題となる集会やその中の発言が、果たして「政治利用」にあたるのかどうかがって話は表現の自由の話も含めて憲法の話になる。なのでこの出来事って、「撤去する・しない」、「撤去は歴史修正主義」とかそういう話ではなく、議論の対象になるのは、「政治的な集会」「政治的な発言」の定義・適用範囲と表現の自由の憲法解釈の部分じゃないのかなあ。
参考: 藤井(2018) 群馬の森追悼碑裁判の経緯と憲法的問題点,群馬大学社会情報学部研究論集, 25,129-146
https://gunma-u.repo.nii.ac.jp/record/1191/files/25_129.pdf
最高裁の決定が出ているもの(=撤去)について、それに従わないということになれば、日本が法治国家じゃないってことになる。そっちのほうがヤバくない?
※ちなみに記者会見の最後の方にTBSテレビのクサカベという記者さんが出てくるが、その記者さんが 、
って知事に質問していて、 「その間違った信号やシグナルにならないように、あなたたちがちゃんと両側面から報道したらいいんじゃないの???」 って思った。
いずれにせよ、上に張った記者会見の映像を見て、知事と県側の意見・見解も確認したほうがいいです、本件は。
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