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ケツ断・ケツ別・解ケツ〜自分のケツは自分で拭け〜


1.絶縁経験

誰しも友人はいるだろう。
学生時代の友人。社会に出てからの友人。
ネットで出会った友人。友人の友人。



様々な出会いがある中、
友人とキッパリ【縁を切る】経験をしたことはありますか?
わたしはあります。
そんな決断と決別と、わたしを解決させた話。




2.中学時代の友人

中学生時代の友人といっても、
仲良くなったのは高校を卒業して以降。
中学時代は真面目・優等生・変人だったわたし。
彼女は所謂「ヤンキー」なハチャメチャJC。
先生のケツ蹴ってた。
当時はお互い苦手意識があり、
同じクラスだが話すこともなく卒業。





お互いのことを忘れたまま高校時代を過ごす。
高校を卒業した後、何かの縁で彼女と再会。
「高卒で働くわたしたち」は仲間意識を感じ、
18歳頃からつるむようになる。





3.大体、ドライブか酒、パチンコ。

シラフで朝までドライブ。
悪趣味なわたしたちは、
中学時代に好きだった男の実家を見に行ったり、
嫌いな女のバイト先(すき家)に行ったり。

居酒屋で酒を飲み仕事の愚痴をこぼした後は、
同級生の勤めるスナックへ行き、
オジサンたちにはウケないカラオケ曲を入れまくってデンモクを独占する迷惑客。

深夜、札幌市南区にある、
「クルクルリサイクル万代」まで行き、
朝までパチスロを打つ。
設定はゆるゆる。景品はザコい。
が、当たると「止まんねーんだけど、ウザ笑」
と文句をたらしながら、
ニヤニヤと嬉しそうに笑い合う。




パチンコ屋に勤める彼女。販売員をするわたし。「高卒労働者」のキズナ。
当時ハタチ前後のわたしたちは、
有り余る体力と寂しさを埋めるために遊び回る。




4.そんな彼女と縁を切る。

彼女との縁の切れ目はコロナ渦。
わたしがタツくんと別れ、札幌に戻る。
あたらしい生活のスタート。
当時わたしは戻った瞬間に愚痴祭りだった。



「東京の方がよかった。」
「戻ってくるんじゃなかった。」
そんなことばかり彼女に愚痴をこぼす。
東京に住んでた頃は些細なことで、
その子含める友人や母親に泣き言を言う。
「札幌に戻っておいでよ。」
というみんなの優しい言葉。
3年越しに地元に腰を据えると、
みんなそれぞれの人生があった。
変わっていなかったのはわたしだけだった。




彼氏がいたり、結婚していたり、
子どもが生まれていたり。
友人も家族も自分の人生を生きていた。
わたしは地元に戻り、
なにを期待していたのだろう。
な成長せず、他人に甘えきりになろうとしていた自分を恥ずかしく思った。
そして、地元に帰っても気分が晴れずに、
憂鬱な気分を抱えていることを
「戻っておいでよ。」
と、自分を地元へ誘導してくれた他人の言葉のせいにした。




5.決断

愚痴をパチ屋の彼女にこぼす内に、
彼女から的確な説教を受けた。
「自分の决めたことでしょ?」
まさに、その通り。
ハッとさせられた。





今まで自分で決めてやりきったことなんてあるのだろうか。
資格をとったことも、他人の言葉によるもの。
地元に戻ったことも、他人の言葉によるもの。
他人のせいにするとなんと楽なのだろう。
自分で決めたことのケツを拭かずに、
他人に拭いてもらおうとしていた。
つまり、要介護。




6.地元の呪い 〜どこか遠くへ〜

と、同時に、
地元の嫌な部分がわたしにハッキリ見えてきた。
札幌は都会と言えども狭い社会。
初対面でも学校名や職業をだすと、
「〇〇さん、知ってる?!」
と仲間探しが始まるのだ。
その仲間探しは繊細なわたしにとって、
とてもムズムズと不快感を与える。
その人と〇〇さんが、わたしのことを話す場面を想像すると……。
自意識過剰といって頂いて構わない。
わたしのことを知っている人が存在しない世界へ行きたくなる。




パチ屋の彼女の時は中学時代で止まっていた。
SNSで探偵業を行い、
学生時代にパッとしなかった同級生の情報を探しては、スクショをしてわたしに送る。
そして草を生やしてバカにする。
彼女の心はまだ学校の頂点のヤンキーだった。
そのような彼女の行いが、
わたしの「どこか遠くへ行きたい病」を加速させたと思う。




地元でしか育ったことがない人種と、
地元以外を経験したわたし。
小学生時代は大阪で育ったため、幼馴染と呼べる友だちはいない。
そんな環境を作った親を恨んだこともあったが、
知らない場所でも生きられるということを経験した時代でもあった。
大阪小学校時代はわたしの中でかけがえのない存在である。
上京もわたしに様々なことを経験させてくれた。




7.決別

そうして異なる人種であるわたしたちは決別するのであった。
後悔はない。
未だになにかを決めるときは、
彼女の言葉が脳裏に響く。
「自分の决めたことでしょ?」
誰も知らない土地で好きに暮らすことは良い。
選択肢が広がる。
選択した先にはまた新しい選択肢。
特に、この東京という街では、
行ったことのない場所、会ったことのない人、
様々な出会いに溢れているのだ。
人が多いので、他人に無関心なところが好きだ。





「決断は他人ではなく、自分でするもの」
ということを、親は中々教えてくれない。
なぜなら自分の失敗経験を元に、
子どもを成功レールにのせたがるからだ。
選択肢を与えてくれる親のプレッシャーに負け、
親の希望通りの人生にのれるかどうかが勝負。
そんな生き方疲れるよ。(参照:わたし。)





だからこそ、客観性を持ち合わせ、
伝えてくれる友人を大切に。
固執はせず、離れることも大切に。
出会いに感謝し、別れを惜しまず、
また新しい出会いを求めて自分を磨く。





場所がどこでも、自分を持っていれば大丈夫。
そして、自分のケツは自分で拭ければ大丈夫。





〜番外編〜

DV彼氏とイザコザして、
南区のヘンピなコンビニに置いて行かれたわたしを迎えに来てくれてありがとう。
探偵グセのある彼女が今わたしのnoteを見ていたら、感謝したいことはたくさんあるのだ。
いろんな場面で助けてくれてありがとう。


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