見出し画像

1st week★go to 鹿児島編

こんにちは、関東から九州へと生活の場を移動した作詞家の大貫です。

この時期にこういう決断になったことも、場所が鹿児島であることも、成り行きというか、いきあたりばったりといえばそうだし、何年もずっと考え続けて行動していた流れからそうなったのだと言えばそうなのです。

愛する夫との結婚もそんな感じでした。(とうとつ)

※注意※
他人のノロケ話には目もくれないぜ!って方は"未来は誰にもわからない"からお読みください(笑)

『目的もなくぼんやり生きていたぽんこつが年下イケメンと出逢って3年でお嫁さんになっちゃった件について』

<あらすじ>
ある日突然出逢った8歳年下の地蔵菩薩(訳:常に笑顔でどこに行っても見知らぬ人からなんか貰ってる尊い存在の夫)とお付き合いをはじめて3年目に「死に際に病室に入れないのは嫌じゃん?」というひょんな理由から入籍。夫は妻の苗字を喜んで名乗り自他共に認める超仲良し夫婦。出逢いから8年、結婚してからは5年ほど経ち、巷では3年目には恋の魔法もすっかり解けると謳われているような今日この頃。解けない魔法を言い換えるなら愛というの?愛ってこんな感じ?きっと10年経っても墓場に入ってもふたりは仲良し。最高のパートナーだったのです!(花畑脳が溶けてる説)

ラノベタイトル風にあらすじをお送りしました。荒すぎて伝わっている気がしませんが進めますね。夫と出逢って、人間ってここまで全力でコミュニケーションしたり誰かを想ったり信頼できるんだ!いいな!人間っていいな!......って真面目に思いました。

ふたりは仲良しは仲良しだけど、価値観が合致しているかというと考え方は正反対だし、なんでも許せるかといえば嫌なことは嫌と伝えます。唯一ぴったりとハマったことが美味しいご飯を食べたいことと、常に今現在の自分と向き合うという生き方でした。恋愛とか食べられないもののことはよくわからないのですが、ふたりで向き合うのが恋愛なら、ふたりで同じ方向をみるのが結婚かな(個人の感想です)と思いました。自立大事。

わたしは育ってきた環境が違ってもセロリ食えなくても新鮮なやつを美味しく調理して食わせまくって好きにさせる強引タイプのバケモンなのですが(もちろん無理強いはしません)......あ、突然他人のノロケ長文にそろそろ胸焼けしちゃってるかもしれませんが、もうちょっとの我慢です。がんばって。話が逸れちゃった。いやもうだってわりとわたしたちが出逢った時から今日という日を迎えるまでのルートがいろいろとキマっちゃったのかもしれないのです。だからそのご説明をさせていただきました。これでノロケはメインディッシュまでお届けしました。

はい、話を戻して。

今この時にわたしはどうしたいか、何がしたいのか、誰とやるか、それらを自分で選ぶこと、特にこの状況下では自ら考えて動くことが一番大事だと考えています。誰かがこう言ったからとか、それが世間では当たり前だからとか、そういうものにわたしは見向きもしません。いや見はします。でも取り入れるかどうかは自分の気分次第なのです。

そんな感性の部分までが夫婦で合致しちゃったら、もう何してもどこいってもパラダイスだった、というわけなのです。はい。デザートまでいきました。脳内お花畑トークはそろそろおわりますね。お疲れ様でした。ありがとうございました。

未来は誰にもわからない

そんなこんなで、世間の"ふつう"は結婚とか子育てとかライフステージが変わっていくことで「貯金しないと将来は大変かな〜」とか「子どもが生まれたら今みたいに仕事が出来ないかな〜」とか、いろいろとあるのだと思います。でもわたしはそう言うまだみぬ明日のことで悩むことやめちゃいました。わたしたちは今を一生懸命に生きて自分自身で未来を否定しないことにキメたのです。

「わたしなら大丈夫」
「この人なら信じられる」
「ここで生きたい」

この3つの気持ちを自分の柱にしています。
だから例えば寝坊したらしたその時に最善策を考えます。失敗したり間違えたり誰かに迷惑をかけちゃったなら必死に謝ります。二度も三度も繰り返すかもしれませんがその度に心から反省します。それが当たり前のわたしなのです。好きな相手や好きなことを想う"情熱という誇り"だけは自慢です。

失敗や間違えが怖すぎたら何もできなくなっちゃうのです。も〜これだから根暗は......!!!(わたしのこと)

セルフネガキャンタイプの自分は自信をなくすのが得意技です。自分と対極にいるようなポジティブ夫の考え方や受け止め方が大変素敵だな〜と思い、自分も「こうすればよかった」のパラレル後悔の発動を封印しました。その時は最善だと思ったのだと認める生き方を選びたいのです。
それが正しいかはわかりません。だからこんな風に生きているわたしたちを受け止めていただく方それぞれの感情を否定しません。それでいいと思っています。みんな今この時を必死に選びながら過ごしているのですから。

親や友人には「あなたらしい」と言われたこの選択ですが、周囲からは地方移住を「九州で何するの?」「このコロナ禍で?生活すら大変な状況なのにゼロから大丈夫?」と疑問に思われることも多かったのです。ご心配いただいた方の気持ちはめちゃくちゃ理解できます。きっと実際に訪れて住民の方々に出逢わなければわたしも同じイメージを抱いたままでした。

わたしたち夫婦の移住に対しての印象と、年末に訪れた鹿児島市役所の職員さんたちから伺ったお話(行政の意向)と、県内の住民の方、県外に住む方が想像することとは、それぞれが少しずつ違う視点によるものだと感じたのです。

ブームには惑わされないゾ!

昨今のリモート業務やワーケーション、行政から地方移住が推進されていることなど「地方移住はいいゾ〜」という情報が増えてはいます。ただその情報をまとめると実際に即行動に移せる人は「(良い意味で)ミーハーである」「遠隔で仕事ができる」「ある程度の資金がある」「家族の理解がある(又は単身)」などかなりピンポイントに限られた条件があるように思いました。

わたしたち夫婦を振り返ると、夫は東京生まれ東京育ち駅から徒歩数分の持ち家育ちの生粋シティボーイ。わたしは神奈川の西の魔境(緑区。別名やまおく)相模原生まれ相模原育ち、のちに川崎→世田谷→相模原......とまあ普通に首都圏をぐるぐると狭い範囲内で生きていました。
生まれてこのかた親の転勤もなく仕事も東京での経験しかなく、交通機関にこそ不便を感じることはあっても、そういうものだと思って生きていました。友人の上京組の話などから地方で"生活するにはもっともっと想像を絶するような不便がある"というイメージがあったからかもしれません。

ところがふたりで全国をちょこっとずつ取材旅行していくうちに、それは関東という日本のメインストリームに捕らわれた自分の勝手な思い込みであったのです。特に昨年末に偶然訪れることになった鹿児島では様々な出会いと発見があり、これはまた後日書きますが「やだなにこれめっちゃご縁〜///」と感じてその勢いで移住を決めました。ノリとも言います。

いろんなことへの「大丈夫?」に対しては「今は大丈夫です!でも未来はわかりません!けど何とかします!」という気持ちで今日も楽しく暮らしています。

こんな感じで鹿児島からの週報をお届けしたいなーと思っています。
忙しいとか病気とかで更新できないときがあったり、写真1枚ぺろっと貼るだけかもしれませんが、何卒のんびりとしたお気持ちでお楽しみください。

最後に

鹿児島1st weekの2/28-3/7までに発見したいろいろ写真アルバムをお送りします。

画像1

寝転びたくなるようなもくもく感と夕焼け。

画像3

鹿児島空港の足湯では時間によって買えるタオルの柄が違います。

画像2

鹿児島市の中心地には観覧車がギラギラ。

画像6

天文館で背徳の深夜ラーメンめちゃくちゃうま。

画像4

ピーポくんみたいな存在?

画像5

街中に突然ニトリ出現。

画像7

川に白い大きな鳥がいました。

画像8

街のいたるところにからあげ店。からあげ弁当の付け合わせがからあげ(&鶏の炭火焼)でわろた。

画像9

九州ファミレスのスタンダード、ジョイフル。

画像10

徒歩圏内にコメダァァァァァ!!!!!(狂喜乱舞)

画像11

麦味噌はお味噌汁より煮物や焼き物に良さそう。

画像12

ぷるぷるでうまー!!!てか食べ物ばっかり!!!!(また来週ー!)

いつもご支援ありがとうございます。企画や活動に役立たせていただきます。