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体験小説「チロル会音楽部 ~ ロック青春記」第9話*届けられた手紙

 県立鶴丸高校の北側に、JRの前身、国鉄の官舎が数棟並んでいた。西から2棟目か3棟目の二階、そこに末原君ら家族が住んでおり、窓際の6畳間が、週末の練習場所となる末原君の部屋だった。

 チロル会の頃と比べて音量が増大していたため、ご家族の方々は、練習時間になると「外出する」という形で協力してくださっていた。
 今思えば、よくぞそこまでしてくださったと思う。休日のたびごとに半日も家を空けるというのは、なかなか出来ることではない。

 音楽好きのお父さんとは、音楽の話をしたこともあった。「ロックの吟遊詩人」と言われていた頃の若きエルトン・ジョンのことが話題になったことなどを思い出す。エルトンが音楽を担当した映画『フレンズ』のサントラ盤お貸してくださったこともあった。
 大切にされていて、自分でも聴きたいアルバムなので期限付きでの貸し出しだったが、返却が大幅に遅れて顰蹙を買ったという苦い記憶が残っている。

  **  **  **

 ある日、末原家の郵便受けに、一通の手紙が入っていた、
 僕らのバンドに向けた初めての手紙だった。封筒に切手は貼られていなかったので、書いた本人によって届けられたものらしかった。

 ― はじめまして。手紙を書きたいなと思っていながら、なかなかそんな勇気がなくて、もう1か月が過ぎてしまいました。日曜日になるといつも聞こえてくる音楽。どんな人たちが演奏しているのかなぁ、なんて想像しているうちに、音を聞いているだけで、胸がドキドキするようになってしまいました。 ―

 匿名の女子中学生からの、そんな書き出しの手紙だった。

 としたら、どんなに良かっただろう。
 末原君から「手紙が来たよ」とだけ聞いて便箋を手にしたときには、ほんのわずかではあるが、一瞬そんな内容を期待してしまった。
 しかし、現実はそんな甘いものではなかった。住所と署名入りのその文書は、近所からの苦情だった。

 夢に向かって練習を続けていた僕らにとって、初め浴びせられた冷や水だった。

 その頃は、今みたいに安価で借りられるバンド練習用の貸しスタジオなどなかった。末原君の部屋で練習するなということは、活動をやめろということに等しい。突然窮地に立たされてしまった。

 ― ああ、なんてこった! ―

 姿の見えない手紙の主に対して、僕らは敵意を抱いた。革新的なロック・ミュージックの素晴らしさも、それに取り組んでいる僕らの気持ちも知らないで、活動を否定し、追い詰めようと言うのか?
 無理解な嫌がらせの手紙など、引き裂いて捨ててしまいたい。そんなものに屈してたまるものか!
 興奮して騒ぎ立てる僕らに「ちょっと待て」と、言葉を挟んできたのは、末原君のお父さんだった。

 世の中の全ての人が、自分たちを理解すべきだと考えるのは、自分勝手というものだ。休日のゆっくりしたい時間に、大きな音で、しかも好きでもない音楽が聞こえてきたら嫌だと思うのは当然のこと。私らは親だから協力して外出しているが、それを近所の人にまで要求することは出来ない。
 いきなり、自分たちの都合ばかりを主張するのではなく、まずは誤りに行くべきだろう・・・、と言われた。

 血気盛んな中学生たちは、それをすんなり受け止めることが出来ない。自分たちを理解しようとしない憎い敵に対して頭を下げに行く気になど、到底なれなかった。そんな対立分子の所に行ったところで、喧嘩になるのが関の山ではないか・・・。

 「そんなことをしても、どうにもならないんじゃないの? こんな手紙を書くくらいなんだから、折り合いが付くわけがないよ」
 「そうなったらしょうがないね。ここでは練習するわけにはいかなくなる」
 「そんなのないよぉ。じゃあ、どこで練習すればいいの?」
 「それは、そうなってから考えればいいことで、今はとにかく謝りに行くことが先決だよ」
 「練習できる場所なんか、探しても見つからないよ。このまま無視して練習するしかないよ」
 「苦情が来たことは、すでに父親である私も知っている。それを黙認したとなると、保護者としての責任を問われることになる」

 これ以上返す言葉はなかった。
 こうなったら、もう助言に従って謝りに行くしかない。

 感情に支配され、理屈など良くわかっていなかった。練習が続行できることだけをひたすら祈り、僕らは、苦情の手紙を寄越した主の住所を訪ねることにした。

 見ず知らずの大人の男性に謝罪するなどということは、それまでに全く経験したことがなかったわけで、どんな人が出てくるのか、どんなことを言われるのか、あれこれと想像しながらなんとも心細い思いに取りつかれていた。その家を探しながらも、できればたどり着きたくないみたいな、奇妙で頼りない気持ちで歩いていた。

 そして、手紙の主の家にたどり着いた。
 実際に表札の文字を目にすると、自分たちとの間に冷たく越えがたい距離を感じ、緊張しまくっていた。

 ― いきなり怒鳴られたら、どうしよう ―

 覚悟を決めて、コールボタンを押す。

 しばしの沈黙のあと、玄関のドアが開いた。

 そして・・・、

 その人が姿を現した。

 40歳くらいの中肉中背、浅黒い肌、角ばった顔の肌眼鏡をかけた男性だった。

 最初に口を開いたのは末原君だった。

 「すいません。この前手紙をもらったので、謝りにきたんですけど・・・」
 「そうか、あの音を出していたのは君たちだったのか」
 怒るでもなく、穏やかな知性の感じられる口調だった。
 「はい・・・」
 「まだ中学生だね?」
 「はい・・・」
 「中に入りなさい」
 「はい、失礼します」
 「もっと大きな声で話してくれないか? これから話し合いをするというのに、そんな小さな声だと、聞きづらいからね」
 「はい」

 僕らは完全に縮み上がっていた。消え入るような声でおずおずと話し、玄関の中に入ることさえためらわれていた。

 「あんなに大きな音を出されたら、こちらとしては迷惑だ。もっと絞るわけにはいかんのか?」
 「あの、音量も大切な表現のひとつなんです」
 「それは、どういうことだね?」
 「僕たちは、ロックをやっているんですが、アンプのボリュームを絞ると良い音がしないんです」
 「そんなものなのか? 良くわからんが」
 「本当にそうんなんです」
 「何のためにやっているの? 何か演奏会でもあるのか?」
 「いや、そういうわけじゃないんですけど、将来プロになりたいので、そのために練習しているんです」
 「そうなのか・・・、しっかりとした目標があるんだな。私はまた、イカれたあんちゃんたちが、目立とうと思って騒いでいるのかと思っていたよ」
 「そうだったんですか」
 「わけもなく大きな音を出しているんじゃないことはわかった。しかし、こちらにも生活というものがある。君たちが一所懸命やりたいという気持ちもわかるが、世の中に生きている以上、自分たちの事だけを考えているだけでは十分ではない。頑張っているのは君たちだけじゃない。社会に出た大人たちは、みんな仕事を持って頑張っているんだよ。自宅に仕事を持ち帰ることもあるし、そうでなくても、休日ぐらいはゆっくりしたいものだ。この前の日曜日なんか、昼過ぎから暗くなるまで、ずっと音を出していただろう? あれじゃ堪ったもんじゃないぞ」
 「すみません」
 「いや、すみません、すみませんって、ただ謝ってるだけじゃ意味がない。今後どうするのか、具体的に言ってくれないとな」

 実は、末原君のお父さんから言われたことを守り、ひたすら相手の声に耳を傾け、謝ることに徹し、許してもらうことだけを考えていた。

 ― 謝るだけじゃダメなんだ ―

 ようやくそのことに気が付いた。

 練習時間を決めること、そして音量はできるでけ絞ること。この2点を約束し、もし大きくなり過ぎるようなことがあったら、いつでも言ってほしいということで納得してもらえた。

 「実はね、よっぽど怒鳴り込もうか、それとも警察に電話しようかとも考えたんだよ。しかし、一度は言い分も聞いてみようと思って、音を出している家を確かめて、手紙を入れておいたんだよ」
 「そうだったんですか・・・」
 「今日、君たちがそうやって訪ねてきてくれたことで、少し気持ちが変わったよ。もし反応がなかったら、警察に届けようと思っていたところだった。今までは、どんな奴が音を出しているのかも知らなかったし、こんなに素直に謝りに来てくれるとは思ってもいなかったからね。言い合いになることは当然のことで、もしかすると殴りかかられるかも知れないと覚悟して身構えていたんだよ」
 「すみませんでした」
 「将来のために練習しているということらしいから、君たちのことを応援しようという気持ちで、少しは我慢することにする。だが、この辺りは住宅地だから、私たちのように静かに生活したいと思っている人間がいるんだということも考えて欲しい。じゃないと、こちらも応援したいという気持ちにはなれないぞ」
 「はい、そうですよね」
 「今約束したことを、帰ったらもっとしっかりと考えて、文章にまとめてウチの郵便受けに入れておいてくれないか? そのときは、声をかけなくてもいいから、ただ入れておいてくれれば良い。今後、町内会で君たちのことが話題になることもあるかも知れんが、できる範囲内で協力しよう。今日約束してくれたことを話しておくよ。文書があれば、話もしやすいし印象も違うだろう。しっかり頑張りなさいね」

 練習続行不可能という事態だけは回避できた。全員ほっと胸を撫でおろし、末原君宅へと向かった。

 確か高校の物理の先生だと言っていた。理路整然と話す様子に、皆が頭の良い人だと感心して聞いていた。教員という職業に就いている人であれば、素直な態度で現れた少年たちを応援したいという気持ちになったというのは、嘘ではないだろう。
 話の解る人で、本当に良かった。

 少し穿った見方をすれば、「応援したい」という言葉は、殺し文句として有効だった。このひと言で僕らの心はほだされたし、周囲の多数の住民の存在と、地域社会の繋がり、さらに警察の存在を背後に感じさせ、僕らにじわじわとプレッシャーを掛けてくる論法は巧みだった。
 そういった言葉を聞いた後で、それまでと同じような練習を続けることなど、到底無理なことだった。

  **  **  **

 末原君のお父さんには、練習会場として家を提供してもらったり、こうして近所に謝罪に行く際にも、丁寧な助言を頂くなど、様々な面でお世話になった。彼の説得なしには、事態が丸く収まることも無かっただろう。
 当時は、そういった協力に甘える一方で、ちゃんとお礼を言うことさえなかった。そのことが悔やまれる。

 その後の練習では、ドラムに毛布を被せ、時計を見ながら、周囲のことをいつも気にしながら演奏するようになった。
 思う存分に音の出せる場所もない、良い音の出る楽器も音響機材もない。そんな悪条件の中での窮屈な練習だった。

  


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