体験小説「チロル会音楽部 ~ ロック青春記」第4話*チロル会危機一髪!
チロル会演劇部が起こしたドッキリ事件は、過剰な冗談好きが暴走した結果だったが、その類の笑いたいためだけの話題には事欠かず、来る日も来る日も、何かネタを探しては笑い転げていた。
演奏をテープに録音するとき、ナレーションによるメンバー紹介を普通にやっているだけでは面白くないということで、ニックネームを考えることになった。
そのニックネームというのが、すでにお馴染みの山下会長以下、倉石あかるい(暗いし明るい)、小牧ちまき、前田うしろだ、末原千恵子(「末原」は「まつ原」とも読めるので、女優の松原千恵子に引っ掛けて)、奥原ひりふるへれほろ。奥原君は顔を真っ赤にして抗議したが、非情なことに誰も受け付けなかった。
「楽譜めくり・奥原ひりふるへれほろ君。はらひりふるへれほろと、めくりのテクニックは見事です」
こんな具合に、笑いの混ざった声で紹介されていた。
パン屋《まるみや》でのチロル会本活動、そして日曜日の音楽部の活動と、仲間が集まれば、何かしら楽しいことが待っている。そんな気分が、常に満ち満ちていた。
そんな幸福な日々を送っていた僕らだったが、ある日ある時、聞き捨てならない怪情報が飛び込んできた。
末原君が、朝学校を目指して歩いていると、校門付近で、女生徒の一団がお喋りに興じており、その中から、いきなりこんな言葉が聞こえてきたのだ。
「ねえ、チロル会って知ってる?」
この瞬間、ギョッとした末原君。
どこのクラスかも分からない、器楽部員でもない生徒の口から、「チロル会」という言葉が発せられた。
― 会員以外、誰にも話していないはず・・・、だよな・・・ ―
その後どんな言葉が続いたのか、周囲のお喋りに埋もれてよく聞き取れなかったが、その先が気になって、気になってしょうがなかった。
これは、底知れぬ不安と恐怖をもたらす大問題だった。
「あの女の子、どうしてチロル会を知ってたんだろう?」
「さあ、わからん」
「城西の生徒に見られたことあったか?」
「いや、そんなことは…、無かったと思うけど…」
「知られている以上、それが先生に伝わる可能性もあるっちゅうことだ」
「職員室に呼ばれて、チロル会って何だ? と聞かれるかも知れんぞ」
「まさか、事実を答えるわけにはいかないよね」
「あたりまえじゃん」
親にも先生にも隠れて、下校途中の自分たちが最高に楽しめる場『チロル会』。
もし学校当局が捜査に乗り出したら、その幸福な巣窟はあっけなく消滅させられる。
そんなことが起こって良いのか?
いやいや、そんな最悪の事態など、この世に決して起こってはならない。
口外した奴が、チロル会内部にいるのだろうか?
あいつか?
こいつか?
誰もが疑心暗鬼になった。
しかし、そんな内輪揉めをしている場合ではない。
もしかすると、油断している間に、噂はかなり広がっているかも知れない。捜査の魔の手は、意外とすぐそこまで忍び寄っているのかも知れないのだ。もし、最悪の事態に陥ったとしても、それを無事乗り切るための準備だけはしておかなくてはならない。
「奉仕活動をしている会です、と答えればいいんじゃないか?」
「じゃあ、なんでチロル会っていう名前になってるんだ? と聞かれるぞ」
「そこが苦しいな」
「ちょっと待て、チロルっていうのが、チョコレートの名前だって、先生が知ってると思うか?」
「あ、たぶん、知らんな」
「チロル地方っていうのは、アルプスの麓にある綺麗なところだろ?」
「うん」
「じゃあ、こう答えればいいんじゃないか? 公園が汚くなっているのを見て、綺麗にしたくなって、皆で、朝早く掃除をしようということになった。美しいチロル地方にあやかって、チロル会という名前にしました。そう答えれば、ちゃんと辻褄合うぞ」
「そんな話を信じてもらえると思うか?」
「信じてもらうためにはだな・・・、既成事実を作るしかないな」
「実際に早朝掃除をやるっていうことだね」
「しかしだな。せっかく掃除しても、誰も見てないと、全く意味ないぞ」
「そうだよなぁ(笑)」
「見ているのが神様だけじゃ困るのよ」
「誰かに目撃される必要があるな」
「場所は、学校から近い城西公園で決まりだ」
「しかし、どこの誰ともわからん人が見たとしてもしょうがないぞ」
「学校関係者が見かける時間と言うと、通学時間帯ということになる」
「そんな時間に掃除なんかしてたら、遅刻するじゃん(笑)」
「いやいや、早いヤツはけっこう早いぞ」
「7時ごろかな?」
「じゃ、7時頃、誰かに目撃されたら切り上げると・・・、するってえと、6時半だ。6時半集合だ!」
「学校に近いヤツじゃないと無理だな」
というわけで、急遽『奉仕活動部』が設立され、城西公園から比較的近い2~3名が、会の存続をかけて、早朝、公園の掃除にいそしんだ。・・・かどうかは、よく覚えていない。
会存続のためには、奉仕活動部設立に留まらず、あれこれと活発にアイディアを出す会員たちであった。
「山下を『会長』って呼んでることも今じゃ結構知られてるよな」
「うちのクラスの何人かも、わけもわからず『会長』って呼んでるし」
「単なるニックネームだと思ってくれてるうちはいいけど、一体何の会長なんだろうって思われたら、かなりマズイよな」
そこで浮上してきたのが、山下君を本当の会長、つまり生徒会の会長にしようという案である。それが実現すれば、彼をいつでもどこでも、堂々と「会長」と呼べる。
生徒会長への推薦理由としては、余りにも分かり易く、また、余りにも手前勝手なものであった。
山下君は、皆のそういう声に誠心誠意耳を傾け、2年生のとき後期生徒会長に颯爽と立候補した。
演説用の草稿は、仲間内で事前公開され、大いに評判を呼んだ。さらに「チロル会演劇部」や「音楽部」のナレーション録りを通じて培われた全会員の知恵が集約され、その全てがそこに注ぎ込まれた。
数々のピンチを経験した後のことであり、彼を会長に押し上げようという皆の熱意の裏には切実極まりないものがあった(笑)
演説用の原稿が、次第に内容も充実し、非の打ち所の無い作品としてまとまってくると、
「いよいよこれで『チロル会生徒会部』発足か」
などという冗談が飛び交った。
そうなったら生徒会の黒幕として暗躍できるようになるという荒唐無稽な野望が、日に日に膨らんで行くのであった(笑)
そして、体育館での立会演説会の日がやってきた。
もちろん、山下君も壇上に立った。
合同で練り上げた英知の結晶とも言うべき演説文が、メガネを光らせた長身の山下君によって、1つ1つ音声化されてゆく。
チロル会会員にとって、熟知し愛着を持った内容である。あらゆる角度から考察を加え、笑いのポイントも、いくつか準備されていた。
― ナイス! ここで、ちゃんと笑いが取れた!
いいぞ、その調子だ!
次の反応は? ―
演説用原稿の作成に加担した小僧たち全員が、チロル会会長、またの名を「馬」、我等がダークホース・山下君の姿を、馬券を握り締めたオヤジのように拳を握りしめて凝視し、そして一声一声に耳を傾け、周りの反応に一喜一憂していた。
「山下が前に出てきたとき『あ、会長だ』ってささやく声が、けっこうあちこちから聞こえたぞ」
「そうそう! 俺も聞いた」
「投票前に『会長』って呼ばれたのは、山下以外にいないんじゃないの?」
「城西中始まって以来だろうな」
「けっこう、会長っていうニックネームは、広がってたんだね」
「会長は、これで山下に決まりだな」
この現象は、チロル会会員たちを大いに満足させた。
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開票の結果、山下君は、『会長』ではなく副会長を務めることになった。
「惜しかったねぇ、晴れて『会長』と呼べるようになるかと期待してたのに」
「そうだよねぇ。残念だなぁ」
「だけど、ちゃんと立候補して当選したんだもんなぁ。副会長に選ばれて『残念だ』は、無いよな」
「そうだねぇ。山下も大したもんだよ」
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