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体験小説「チロル会音楽部 ~ ロック青春記」第6話*バンドやる奴いないかなぁ  

 器楽合奏部の裏活動みたいにして始まった「チロル会音楽部」。
 最初は、持ち寄った楽器で、それぞれの音楽嗜好に沿った演奏を隠し芸大会よろしくごった煮的に録音していたが、次第にロック志向が濃くなって行った。
 そうなると、全員の足並みが揃わなくなってくる。
 “会長”山下君はムード音楽が好きだったし、倉石君が貸してくれたシングルレコードは、軽いヒット路線のポップスだった。

 2年生になったころには、「チロル会音楽部」は、器楽部の裏活動という意識も薄れ、メンバー探しが日課となってゆく。
 ボーカルに末原君の同級生A川君が参加したり、リズム・ギターに幼馴染みのU村君を誘ったりと、いろんな顔が思い浮かぶ。
 中学生だった当時のレヴェルというのは、まだまだ大したことはなくて、周辺に現われては消えてゆくギターが弾ける子というのは、コードを2〜3弾ける程度で、ハイポジションが押さえられない子ばかりだった。そんな中で、2回ほど参加してくれたU村君は、造作も無くコードが弾けたので、皆継続参加を望んだのだが、本人が練習の場の空気を馴染まなかったのか、3度目の誘いには乗ってこなかった。

 僕らが通っていた鹿児島市立城西中学校は、学習雑誌『中〇時代』でも記事として取り上げられる生徒数約3000人、1学年約20クラスというマンモス校。いろんな人材が潜んでいそうで、漠然とした期待を持たせてくれた。

 同級生の一人から、ギターの上手いヤツがいるという話を聞いたことがあったが、大隈半島の鹿屋に転校してしまったということだったので、まさか知り合うとは思っていなかったのだが、その後、偶然知り合うことになる。しかし、それは3年になってからのことなので、この物語に登場するのはまだまだ後のことになる。

 ビートルズのファンだった同級生のK田君からも、ギターの上手いヤツがいるという話を聞いた。それが、後に世良公則率いるツイストのベーシストとして芸能界デビューすることになる鮫島秀樹君だった。

 初めて誘いをかけてから、実際に音を合わせるまでに、家の引越しか、仕事の手伝いだったか忘れたが、1週間ほど待たされた。
 K田君の話によると、末原君より上手いかもしれない、ということで、末原君も期待半分、恐れ半分という感じだった。

 さてと、鮫島君の名前が登場したところで、少し時を遡って、小学生のころのことから書いてみようと思う。バンドの事とは全く関係ないのだが、当時の彼のキャラを、より鮮明に描き出してみたいので・・・。

 鹿児島市立西田小学校に彼が転校してきたのは、4年生のときだった。1学年6クラスあった中で、同級になったことはなかったが、いくつか思い出せるエピソードがある。

 彼が、どこかのクラスに転入して来てから、運動場のどこからか「さめー!」という呼び声が聞こえてくるまでに、さほど時間はかからなかった。大阪から来た足の速い「さめ」と呼ばれる男の子。なんとなくではあるが、そんな子がいることは伝わって来た。
 秋の運動会で、鮫島君の姿は目立っていた。皆の注目の的になる学級対抗リレーで、憎っくき他学級の選手として、余計な活躍をしていたから(笑)
 彼の脚力に関しては、もっと後、高校1年のとき、体力測定の結果を伝える言葉が忘れられない。50メートル走の結果を、半ば自分に呆れながら教えてくれた。
 「5秒台やった。まさか5秒台とは、思ってもみなかった」

 鮫島君とは、小学校の相撲大会で一度対戦したことがあって、この時のことが、なんとも印象深く記憶に残っている。

 そのことを話すには、その前のことから説明しなければならない。
 僕は四つ相撲が好きで、まわしを取ったときは、ある程度の自身もあったのだが、一瞬で押し出されて負けたことがある。相手の顔と名前もはっきり覚えている。中村M君だ。彼とは、5~6年では同級だったので、対戦したのがそれ以前だったことは間違いない。
 校庭の片隅に設えられた土俵の上でにらみ合った後、行事役の先生が持つ軍配が返った途端、

 ― ドカスカバシビシ☆★!

 世界の見え方が激変。一瞬、空が見えたり、地面が見えたり、応援している生徒たちが見えたりと、まるで高速スライドショー。
 ― な、なんだこれは? ―
 そう思った時には、もう土俵の外にひっくり返っていた。ひっくり返ったまま、その場で起こったことを考えてみた。
 どうやら、いきなり胸板やら顔面やら肩やらを突かれまくり、そのまま突進されて、押し出されたらしい。

 悔しかった。

 ― 相手がこう来ることが、分かっていたなら・・・ ―

 無念で無念でしょうがなかったが、すでに勝負は付いている。もう一度相撲を取らせろ、と思っても、もうどうにもならない。

 この無念さを、どこに向けたらよいか・・・。

 答えは一つ。

 次の対戦相手だ。

 で、その対戦相手が、鮫島秀樹君だったのである。

 土俵に上がってきた彼は、そんなことなど何も知らず、平和な表情で土俵に上がってきた。
 こちらは、作戦実行に向けて虎視眈々である。

 軍配が返った。

 ドカスカビシバシ★и★!!

 一瞬で勝負はついた。

 土俵の外にひっくり返っている鮫島君。彼の悔しさは、こちらも先刻体験済みである。これほど悔しい負け方はない。

 勝負が終わった後、土俵下でばったり顔を合わせた鮫島君。こちらの顔を忌々しげに見つめ言い放った。

 「おぼえてろ~!」

 その言い回しが、鹿児島っぽくなかったのと、悔しそうな中に、なぜか人懐っこい表情が見えたのとで、その瞬間の記憶が、今でも鮮明に残っている。

 その後の鮫島君の相撲がどのように変化したか、説明の必要もないだろうが、一応レポートしておこう。たまたま、それを見る機会があったのだが、予想通り、軍配が返った途端に爆進し、そして当然のように圧勝。自分が負けた時と同じ悔しさを、対戦相手にしっかりプレゼントしていた。

 それからしばらくして、当時西田小学校の南東にあった正門(現在は閉鎖)付近を歩いていたときのこと。鮫島君が自転車で左後方から現われ、立ち漕ぎ気味に、そのまま右の彼方へすーっと斜めに横切っていったことがあった。その場面が映画の一場面のように、妙に鮮やかに記憶されている。
 彼がブルージーンズを穿いていたせいもあるだろう。その頃は、小学生のジーンズ姿はまだ珍しかった。単純に、そのジーンズが印象に残っただけのことかもしれないが、なぜか彼の行く先に、何か面白いことが待っているように見えて、どこに向かっているのか、一瞬想像したのを覚えている。


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