見出し画像

「あれから5年 ~ 直腸がん手術前後の日記」

 今朝、あるWebsiteに、自分と同じ直腸がんステージⅢB手術の体験をした女優さんに関する記事が掲載されていました。
 「毎日泣いていた。精神的にも辛い日々が続いた。抗がん剤治療も3クール行ったが、副作用で手や足がしびれたり冷たくなるなど大変でした」と記されていて、自分とはあまりにも違う感じ方に違和感を覚えました。
 もし、同じような境遇に立たされている人がこれを読んだらどう思うでしょう? 何の励みにもならないのでは?

 同じ体験をした自分の当時の日記を読み返してみたところ、あまり多くのことが書かれておらず、ちょっと物足りなく感じるほどあっさりとした書き方になっていました。
 もう少し詳細に書き残しておけばよかったという思わないでもありませんが、たぶん、そのときは、前へ前へと進んで行きたい気持ちが強かったのだと思います。
 ほとんど感情の浮き沈みが無く、他人事のように淡々と記してあり、真実味が伝わってこないと思えるほどですが、実際に「深刻に考えても仕方がない」と割り切り、運を天に任せ「俎板の鯉」的なフラットな心境でした。

 大事が待ちかまえているみたいに考えないようにして、すべて「日常の普通の出来事」として受け止め、術後のリハビリも普通に頑張ったし、その結果と言えるかどうかはわかりませんが、異例とも言える速さで回復、退院することも出来ました。

 過分な不安や深刻さから回避できるための、わずかな手助けにでもなれば、との思いで、実際に直腸がん手術を受けた体験記を公開してみることにしました。

 病院にパソコンが持ち込めなかったため、入院直前から、いきなり退院へと記述が飛んでいますが、退院後に振り返って書いている部分もあるので、そこから入院中の心情を推し量ってくださいませ。

    **  **  **

 2018年10月16日 ·
 26日に手術決定。
 今日から3日連続で検査。23日にも検査があって、24日に入院します。
 直腸癌の手術です。

 泣いても笑っても、なるようにしかならない。だったら笑っていようじゃないか。そんな心境。

 だから、メンタル面での問題は皆無。平常心で臨みます。

 治る確率は「7割以上」との説明がありました。


 10月23日 ·
 入院準備に手こずったけど、どうやらそれも完了。
 やれやれ、これでようやく明日入院できる。

 今日、最終検査を受けた。心肺機能、共に「問題なし」。

 それはそれで良かったんだけど、明日10時に入院っていう日に、しかも午後になってからだよ・・・
・「緊急連絡先2か所必要」
・「手術当日以前の事前説明に立会人が必要」とか、
・「入院に際して〇〇と〇〇などの準備が必要」とか
 突然ドカ~ンと言ってきた。

 直前だぞ直前!!

 時間ないじゃん!!!

 あたふたさせんなよぉぉぉぉ!!!!

 と、まぁ元気だけは有り余っていてね😁


 10月25日 ·
 病院より また抜け出した(笑)

 次の予定が夕方6時だっていうから、今度は許可もとらずに抜け出してきた。

 入院に備えて買っておいた本4冊を忘れてきたので取りに来たのさ!

 せっかく買った本を4冊もなぜ忘れたのか?
 無意識裏に(帰りたい願望)が働いたのかも(笑)

 駐輪場に原チャリ置いてあるから、比較的自由に出入りできる。家まで10分くらいだしね。

 これで、明日ようやく手術。
 必要な物品に記名するように言われたので、書き込んだのがこれ。

こんなこと書くやつ2人とおらんやろ(笑)
これで、間違ってどこかに紛れ込むなんていう心配はない。


 12月6日 ·
 『ようやく退院できました』
 42日ぶりに我が家からの投稿。これはさすがに嬉しい。

 それは良いとしても、入院中、会話量が極端に少なかったため、声帯の調子が戻ってません。他人の声でしゃべってるみたいです。

 そればかりか、久々にハンドルを繰りながら歌ってみたところ、顎や舌・喉の動きが鈍くて、実に歌いづらい。

 足腰や腕、背筋などの筋肉は、介護の仕事で使うためリハビリ頑張ってたので、かなり回復したんだけど、まさか「歌に使う筋肉」が衰えているなんて、想像してなかったよ😂

 なんでこんなに体のどこそこが衰えるかと言えば、術後2日間寝たきりだったうえに、絶食状態が8日に及んだため。
 2日間の寝たきりは、1年分の筋肉が衰えてしまうのだとか・・・。 

 今回の入院では、いろんなことを感じ、いろんなことを考えさせられました。生死感が変わったよ。
 そのことについては、追々少しずつ話すかも・・・ 

 写真は、11月30日早朝、病棟8階から見えた夜明けの桜島。


 12月14日 ·
『退院後、初出勤(介護の仕事のほう)』
 今日が夜勤明けだった。
 入院中、仕事復帰に向けてのリハビリとして、ウォーキングと筋トレを続けていたので、それなりの効果を実感。歩く距離は次第に長くなり、多い日は10㎞以上に達していたし、一度落ちた筋力も、入院前と同じくらいまでには回復していた。

 そんなわけで、仕事にならないほどの力不足は感じなくてすんだんだけど、意外なところで衰えを感じてしまった。

 リハビリとして鍛えていた以外の動作、たとえば利用者の衣服の着脱、段ボール箱の解体、そして単に立ちっ放しでいること、さらには、膝をボンゴみたいにリズム打ちするといった手遊び的なことにまで、予想外の「疲れ」を感じてしまった。

 2日間寝たきりでいると、1年分の筋肉が落ちるって聞いたけど、本当に、ちょっとした何気ないありとあらゆる動作が、体中の様々な筋力に支えられているということを、生まれて初めて実感した。

 次の出勤は1週間後だけど、筋力を回復させるために、ボランティアで少しずつ職場に赴いてみようかな。

 この写真は、ある日の病院食。けっこう美味しかった。
 最初は1,600Kcalだったけど、リハビリで体重が減り始めたので、1,800Kcalに増やしてもらったんだけど、それでもやっぱり体重減は止まらなかった。


 12月17日 ·
『体重が減った』
 入院前と比べると、約10㎏減の体重47㎏弱。これは、42年前、20歳だった頃以来のこと。

 ただし戻ったのは体重だけ。言うまでもないが、往年の若さなど見る影もなし。この2ヶ月で、むしろ見た目はちょっと老けたかな?

(めどう 62歳)

 でも、心は老け込んでないよ!

 マジックに目覚めて約5年。新しい人生は、まだ始まったばかり。

 痩せたせいで、風貌的になんとなく魔法使いっぽくなって、マジックには向いてきたかな? なんて都合よく考えてみたりしている。


 12月31日 ·
『2018年を振り返る』

 本日は今年最後の出勤日。

「仕事納め」という言葉があるが、夜勤専門につき、勤務終了は日をまたいて来年になる。
 そんなわけで、この1年をゆっくり振り返る時間もないので、取り急ぎ。

 3月に母を亡くし、10月には自分が癌の摘出手術を受けた。これは世間的な感覚に照らし合わせると、「良い年」だとは言えないのかも知れない。でも、僕自身「悪い年」だったとは感じていない。

 手術後、絶食状態から、初めて食事を摂ったとき、喉をゆっくりと降りてゆくおもゆの味と感触に感動したことなど、入院中の様々な場面が鮮明に記憶されている。

 自分の意志とは無関係に、次第に回復してゆく我が身を、愛おしく感じた。
 目に見えない何者か(仮に「神」と呼ぶことにする)に生かされていることを実感し、生死感が変化した。

 ベッドの上で、20代半ばのある記憶が蘇った。

 その頃、僕は音大を卒業した後、一旦音楽から離れ、生き方を探し求めて、長野の片田舎で農業のアルバイトをしていた。

 雨の休日、簡易建築の寮の中で目を閉じて横になっていると、雨の音が優しく感じられ、心の中にすーっと染み入ってきた。

 その雨音が、心の中だけでなく、周囲を埋め尽くしている。

 空から降ってくる無数の雨粒が、道路や川、山林や隣町、遠く広がる空間を埋め尽くしている。

 そんな中に、自分は存在している。

 10代の頃、甑島でキャンプしたときに見た天の川の様子が思い浮かんだ。

 無数の星の輝きの中の1個の星のように、自分自身も、無数の命のリレーの中で生み出されたひとつの命に過ぎない。

 そういった、謂わば当たり前ともいえる事実に、改めて気づかされた。

 孤独感から解き放たれ、自分の存在が、底知れぬ大きな「何か」の一部であることを感じ、震えるほど感動した。

 後になって知ったことだが、それをユング心理学の一派で「タオ体験」と呼ぶらしい。そのとき感じたことを、還暦を過ぎた今、病院のベッドの上で追体験していた。(※このことは、note別記事にて投稿済み)

 母の死も、悲しいことではあったが、大きな世界の中での自然な帰結なのであって、遺された者はそれを受け止めて生きてゆくしかない。

 勤務中の看護師さんたちが、回復の早さを口にした。

 退院する朝、僕の担当だった看護師さんが、

 「リハビリの運動量の多さは前例が無いです。こんなに早く回復し退院する患者さんは初めてです」

 きらきらした目で賛辞を述べ、祝福の手を差し出した。

 これは、僕自身だけの力ではないと思っている。母が見守ってくれて力を貸してくれているような気がしてならない。

 少し次元の違う話になるが、少し時間を遡って、がんが発覚する直前の8月。仕事として、天文館のバーでマジックを披露させてもらうことになった。

 何か大きく変化してゆく節目の年になったような気がしている。


 2019年1月23日
 『偶然って、面白い!』
 (抗がん剤治療へ向けての)入院先の売店で退屈凌ぎに買った本の中に、このようなQ&Aが載っていた。
 Q.
 「ご自分が野球選手だったとしたら、どのポジションだったと思いますか?」
 A.
 「僕は二塁手に興味があります。」

 その部分を読んでから2、3時間後、バイタルチェックに来た看護師さんとの雑談中の一コマ。

 「運動は得意じゃなさそうだよね?」
 「でも私、運動部だったんですよ」
 「へぇ~、そうなの? 意外! 何部だったの?」
 「野球部です」
 「野球部! なんか想像できないなぁ。で、ポジションは?」
 「セカンドです。」

  **  **  **   

 8泊9日の入院生活を終えて、只今帰宅。

 抗ガン剤治療が始まったわけですが、今のところ何の副作用も出てません。食欲旺盛、元気一杯です。

 主治医の先生曰く、

 「体力すごいです」

 今後半年間、3週間に1度のペースで通院治療を受けますが、今後も副作用出ませんように!

 4月3日 ·
『マジシャン復帰』
 昨年秋、手術のために入院して以来、半年ぶりにマジシャンとして復活。昨夜がその初日だった。

 思えば、介護職を辞めるまで、のり越えなければならない問題が山積していた。そういうのを吹っ切るのって、けっこうエネルギー使うんだよね。
  (※注釈:この頃、数年間務めた介護職を辞しています。)

 ところでね・・・

 マジシャン登録してるバー「侍」。お客さんがいないときは、メッセージボード持ってお店の前に立つんだけど、これが結構楽しいの。

 単なる立ちんぼじゃなくて、街頭パフォーマンスする。
 全身を使って、パントマイム的な要素を取り入れたマジックを披露するんだけど、
 そうすると、道行く人々は、様々な反応を見せてくれる。

 チラっと見ては見ぬふりをして通り過ぎる人、
 立ち止まって見る人、
 「えぇぇ~!」なんて、思わず声をあげる人、
 話しかけてくる人、
 動画を撮る人、
 そして実際にお店に足を運んでくれる人・・・

 そんな、ちょっとした触れ合いが、僕をハッピーな気分にさせてくれるのさ!

  **  **  **


 以上が、直腸がん手術を受ける前後の日記です。

 あまり深刻に受け止めずに、普通に淡々と・・・

 で、よろしいのではないかと思います。

 「自分は、がん治療のためだけに生きているのではない」

ということを忘れずに、がんであることだけを近視眼的に見るだけではなく、外の世界の出来事や、身の回りに起こるささやかな出来事もキョロキョロと見渡し、それを楽しみながら過ごすのがよろしいかと・・・

 半年に亙った抗がん剤治療。体がだるい、指先が痺れるなどの副作用はありましたが、そんな自分を少し離れたところから観察するようにし、深刻にならないようにと常に自分に言い聞かせ、そして孤独に陥ることを避けるために、病院の相談窓口で「NPO法人 がん患者サポートかごしま」を紹介してもらったのも大きかったかも知れません。

       では・・・

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?