体験小説「チロル会音楽部 ~ ロック青春記」第11話*招かれざる客
週末の練習を続けていた末原君の部屋には、たまに見知らぬ人が訪ねて来ることもあった。
年の近い中高生が、通りすがりに聞こえてきた音に誘われてやって来ては、しばらく練習を聴き、簡単な感想を述べて帰る。そんなことが何度かあった。
そういう輪が広がって行くのは有難いことだったが、中には、どちらかというと有難くない、というか・・・、はっきり言って非常に困る客もいた。
** ** **
その客人は、学生服の胸元をはだけ、長めの髪の上にひしゃげた学生帽をあみだに被り 、ポケットに手を入れ、威嚇するような目つきでやってきた。そばの私立高校の生徒だった。
一瞬にして空気が変わった。
そんな奴がなぜ突然ここにやってきたのか、さっぱりわからない。皆の顔から笑みが消え、警戒心から体が硬くなっている。
客人は、無言で部屋中を舐めるように見回したあと、おもむろに口を開いた。崩れた鹿児島弁によるタメ口だった。
「人を立たせたまま、ただ見ちょっとか? 椅子ぐらい持ってこんか」
「すいません。気が付きませんでした」
末原君があわてて奥の部屋から椅子をひとつ持ってきた。
「おう、悪ぃな」
素直に言うことをきくと満足するようだった。その後、客人は胸ポケットからタバコを出し、マッチで火をつけると、眉間にしわを寄せ、ゆっくりひと口吸い込むと、空中に「ふう」と煙を吐き出した。
「灰皿は無かとか?」
「あ、今持ってきます」
そうやってタバコを吸うのも、中学生に対する一種の威嚇行為としてやっている感じだった。それまで音楽で満たされていた空間に煙りと異臭が漂い、みるみるうちにいびつな色に染められてゆく。
そのあと、一人一人に一本ずつ差し出し、火を付けた。
誰かが激しく咳き込んだ。
「なんや、初めて吸ったとや?」
薄笑いを浮かべている。
そして、僕に順番が回って来た。
中学時代の僕にとって、タバコを吸うという行為自体、絶対に超えてはならない一線の、そのまた向こうにあった。何と言われるか心配だったが、消え入りそうな声でこう言った。
「すみません。タバコは飲めないので・・・」
「吸わんとや・・・、そうか」
意外と鷹揚な反応にほっとした。こちらが縮み上がっている分には、問題はないようだ。
「わいたちゃ、何を考っせえ、こげな事をしちょっとよ?」
「・・・・・・」
「オイのダチがエレキバンドをやっちょっとよ。そいがな、土曜になれば、いつも良か気になって音を出しちょっワロがおって気にくわんち・・・、そいで、ちょっと様子を見に来たとよ」
「いえ、そんなつもりじゃ・・・」
「はあ?」
「高校生の人と張り合うつもりでやっているわけじゃなくて・・・」
「なんち?」
「いえ・・・、その・・・、ただ練習してるだけなんですけど・・・」
「何事ならよ?」
「えと・・・、ロックが好きだから・・・、です」
「そいだけや?」
「はい、まぁ・・・、そうですね・・・」
「ほんのこて、そいだけや?」
「はい、そう・・・、ですけど・・・」
「あんまぃ良か気になっとじゃなかど」
「いいえ・・・、まさか、そんな・・・」
「良かか? エレキを弾いちょっとはワイたちばっかいじゃ無かたっでな。オイのダチみたいに、前からやっちょっともおっと。そこをよう考えんか。あんまぃ良か気になっちょっと、オイが喰らわしに来っでな」
この迷惑な客の目には、少しでも目に付く行動は、すべてが示威行為のように映るらしかった。
その後、話は市内の不良たちの勢力図みたいな話になった。3月でどこの高校の誰それが卒業して、その後、別な高校の誰だかが幅を利かせているとか、自分がどのような位置にいるとか・・・。
僕らにとって、そんな話は冥王星よりも遠い別世界の話で、ただただ面食らっていた。
そんなとき、そばに置いてあったヘッドフォンが目に入り、これ幸いと、それを被って音楽を聴くことにした。
ターンテーブルには、LP『レッド・ツェッペリンⅡ』が乗っていた。
しばらくそのまま波風は立たなかったのだが、数分後、突然肩を突かれた。振り返ると、高校生は気分を害したようで、僕の顎に手を伸ばしてきた。
― うわ! こりゃ殴られるぞ ―
胸がバクバクと高鳴っていた。
「人が話しかけたら答えんか、おら!」
「すみません。これを被ってると、外の音が全然聞こえないので・・・」
ペコペコと頭を下げていると、周りの皆も、すかさずフォロー。
「それで聴いていると、本当に周りの音は聞こえないんですよ」
「そうじゃったとか」
あたふたと弁明する様子に、気を取り直したようだった。
「何を聴いちょっとよ?」
「うるさい音楽なので、迷惑だろうと思って、これで聴いてたんです」
「そうや? 気を利かしてくれちょったとや、悪かったな。まぁ、そげん言わじオイにも聞かせっくれ」
僕の手からヘッドフォンを奪い取り、聞き始めたが、すぐに外した。
「うんにゃ、こいはオイには合わん」
返されたヘッドフォンで再び音楽を聴こうとすると、
「せっかく遊びに来ちょったっで、話をしようや」
― やれやれ・・・、せっかくも何も、呼びもしないのに勝手に来たんじゃないか・・・ ―
再び強引にいびつな世界に付き合わされる破目に・・・。
「何か演奏しっくれんか?」
「えっと・・・、どんな曲が良いんでしょうか?」
「ピンキーとキラーズの『恋の季節』はでくっか?」
「いやぁ、そういう曲はやってないので・・・」
「ベンチャーズの『恋の慕情』はよ?」
「それもちょっと・・・」
「うんにゃ何もでけんとやな。今度来っときまでは練習しちょけよ」
「・・・・・・・」
「花札をすっが」
「あの、花札はないんですけど」
「麻雀はよ?」
「麻雀も、ちょっと・・・」
「うんにゃうんにゃ、何もでけんとやな」
「すみません」
「わいどま、遊びもちったぁ覚えんと、高校生になったら誰とも付き合えんど」
「そうですか・・・」
その後、しばらく退屈そうにタバコをくゆらせていたが、おもむろに立ち上がると、
「あぃがとな、おかげで楽しかった。また遊びに来っでな」
そう言い残して出て行った。
** ** **
「ふう! やっと出て行った」
「参ったね」
「しかし、高校生が一人来るだけで、全然雰囲気が変わるね」
「ほんとだね」
「楽しかったって言ってたけど、何が楽しかったんだろうか?」
「一方的に喋ってるだけで、こっちは何も言えなかったよ」
「ほんとにそうだよね。な~んにも喋ることができなかった」
「『京都慕情』なんか練習したくないよね」
「冗談じゃないよ。こっちの気持ちなんかお構いなしだからね」
「でも、また来るって言ってたよ? 練習しておく?」
「いやぁ、そんな気にはなれないよ」
「だけど、ここで練習してることも結構知れてるみたいだね」
「これから、ちょくちょく来るのかな?」
「あんまり来られてもな・・・、っていうか一度でも来ると思うと気が重いよ」
「おちおち練習もできないなぁ」
「君たちは、まだいいよ。僕はここに住んでるんだよ」
「そうだよねぇ」
「なんか胃が痛くなってきた」
憂鬱だった。
苦情があって以来、音量をセーブしていたのに、それでもこんなに波紋を呼ぶものなのか・・・。
― 頼むから、放っておいてくれよ、ったく・・・ ―
この日を境に、どうにも気分が落ち着かなかった。練習するたびに「いつまた来るんだろうか、どこで出くわすんだろうか」と気が気じゃなかった。
特に住所を知られている末原君なんか最悪だ。片時も気が休まらない。
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