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映画「ゴジラ」の指輪 〈映画の指輪のつくり方〉第40回

国会のシーンの婦人代議士は菅井きんさん
1954年公開映画「ゴジラ」
文・みねこ美根(2020年8月17日連載公開)

私はいらいらしたり、ストレスが溜まると、物を壊したくなる。よく卓上カレンダーを破いてしまうので、買うのをやめた。大学生の時に「最近物に当たっちゃうんだよね(笑)」と冗談交じりに友達に言ったら、「あんた、それはかなりキてるよ」と心配されたことがある。中学生のときに一番欲しかったのはサンドバックだった(結局パンチバッグを買った)。子どものころは、学校が嫌いなのに、優等生でありたいという厄介な性格のせいで毎日ギギギギってしていた。そういう時に観る怪物が出て街を壊すような映画はスカッとするよね。その類の映画は迫力があるし、スリルも感じられる。

でも、今回紹介する「ゴジラ」は、実は娯楽映画とは違うのだ。続編、リメイク、派生映画がたくさん作られてきたのは、第一作目の「ゴジラ」が娯楽映画ではないことにあると思う。突然為すすべのない恐怖に襲われたら、私のギギギギなんてとてもちっぽけなものになっちゃうだろうな。

スカッとするのも、物を壊したくなる衝動も、一時的なもので、一方で残るものって、共感なんじゃないかなと思う。今でいう「それな!」ですな。「それな!」を引き出すためには、相手がリアルさを感じて自分のことのように考え、「自分だったら?」と思わせる必要がある。

「ゴジラ」で描かれる恐怖、悔しさ、無力感には、すごく共感させられる。伝説的なこの第一作目は、そのリアリズムによって重厚感が増し増しの増しになり、見ごたえがあるのだ。「怪物が出てくる」時点で非日常的なのに、安っぽくならない技術。戦後9年の作品。CGに見慣れた2020年の今見ても、この迫力と恐怖。凄すぎる。ゴジラは夜の登場シーンが多い。ディテールが見えすぎないようにする目的かもしれないが、それが功を奏して不気味さ、得体の知れない感じを際立たせている。

ある日を境に、貨物船や漁船がある地点で消息不明になるという事件が多発する。地点近くの大戸島には古くから伝わる「ゴジラ(呉爾羅)」という怪物がおり、目撃者も出る中、事件もその怪物の仕業ではないか、と噂される。ある夜、暴風雨の中、得体の知れない何かが、大戸島を襲い、大きな被害が出る。派遣された調査団は、大きな足跡から高い放射線量を検知する。その時再び現れたゴジラを目撃する人々。「海底奥深くで生きていたジュラ紀の生物が、度重なる水爆実験によって安住の地を追い出された」ゴジラは、東京湾に現れ上陸する…。という話。

まず、音楽!ゴジラのテーマは、みんな一度は聞いたことがあると思うけれど、この映画でもう一度聞いてみて欲しい。冒頭、ゴジラの鳴き声から、このメロディ、この変拍子。なにこれ、なんでこんなすごいの思いつくんだ。ゴジラの鳴き声が、本当に怖い。コントラバスの弦を松やにを付けた革手袋でしごいた音を加工したって、ウィキペディアに書いてあったけど、このこみ上げる恐怖!ちゃんと“喉”から出ている音に聞こえる。

そして曲全体の雰囲気。大きなものが出てくる映画の音楽って“壮大”になるイメージがあるんだけど、このゴジラのテーマって“無感情”なんです。この無感情が怖い。無感情にさせられる感じ。映画の中では、ゴジラの登場シーンより、人間が出撃準備をするときとかに流れるんですよ。不安と恐怖を押し殺して戦う人々。改めて聞くとこの削ぎ落とされたシンプルかつ骨太な楽曲にギャーと慄くわけであります。今回の動画ではもう一曲カバーしたのですが、その曲も大好き、しびれる。どちらの曲も涙が出る。音楽が流れる箇所も最低限で、BGM無しと有りのシーンそれぞれが際立つ。

秀逸なのが、人々の描き方。人がすごく小さく感じるアングルなんです。ミニチュアのシーンとの兼ね合いがあるからかもしれないけれど(ミニチュア等美術制作も素晴らしい)、とてもちっぽけな存在に見える。でもその一方で、それぞれの生活や、戦争をくぐり抜けてきた人たちであることも感じ取れる。「原子マグロだ、放射能雨だ、今度はゴジラときた」「せっかく長崎の原爆から命拾いした大切な身体だもの」「また疎開か…」といった電車のなかの会話。また別のシーンでは電車がゴジラに踏みつけられてしまう前に、その車両の中の何も知らない人々を映すカットがある。大戸島の人々の生活、新吉の兄の恐怖に引き攣るあの表情。人々の街を破壊するゴジラに為すすべもなく見ていることしかできない無力さと怒りと悲しみの顔。「ちくしょう…ちくしょう…」という新吉のセリフ(新吉役の鈴木豊明さん、自然な演技がすごい)。「もうすぐお父ちゃまのところに行くのよ」と死を覚悟する母と子。被爆してしまった子、親を亡くして泣く子。

「ゴジラ」は、反戦・反核映画としても知られている。当時社会問題となっていた水爆実験による被害が本作の背景でもあり、監督・脚本の本多猪四郎さんは自らの戦争体験のイメージをもとに制作にあたったらしい。続編や最近のリメイクだと、「ゴジラ」が“良いもの”になっている場合もあるのだが、この得体の知れない怪物が“水爆実験によって安住の地を追い出された”怪物であり、“味方か敵か”ではなく、命を脅かす“恐怖の存在”であるからこの映画は凄いのだと思う。天災であり、人災。ゴジラの存在はそう言えるのではないか。震災、津波や豪雨といった、人間には太刀打ちできない自然の脅威とも思えるし、人の過ちによって生み出された、戦争、核の脅威ともとることができる。本多さんは「一番の被害者はいつも民衆だ。」とインタビューで答えている。その民衆が本当によく描かれている。そしてその民衆は私たちだ。人々の命の重さの描き方に、これは単なる娯楽ではないと気づかされる。

一方で、国会のシーンも特徴的だ。「水爆実験によって生まれた落とし子であると公表したら、国際問題はどうなる?軽率に公表したら、国民大衆を恐怖に陥れ、ひいては政治、経済、外交まで混乱を引き起こす」とするゴジラの存在を公表すべきでない派、「重大な事実であるからこそ、一刻も早く公表せよ」とする公表すべき派にわかれ、大論争になってしまう。閉口する関係者と科学者たち…。なんだこの既視感。「シン・ゴジラ」でも政治家たちのやり取りが(希望的観測、形骸化とマニュアルとシステムの穴って感じで)“非常に”興味深かったが、「ゴジラ」でも象徴的なシーン。いつの世も変わらないのか。それとも私たち民衆が変わらないのか。

終戦から75年。これまでも、水爆、公害、震災、自然災害、そして世界的感染症拡大と様々なことが起きている。世界に目を向けても、今日に至るまで戦争・紛争は無くなっていない。これらの出来事に共通しているのは、そこには“私たち”がいるということだ。悲しいかな、最近はむしゃくしゃするような、まさに踏みにじられるようなニュースが溢れている。正直、しんどい。でも生きていくのだ。
リアリズムをもって時代を超える「ゴジラ」。今まさに見るべきかもね。

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モチーフ:ゴジラ、家々、電柱、車、つぶれた電車
音楽:「ゴジラのテーマ」「フリゲートマーチ」伊福部昭 オルゴールver. Cover

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