33歳のわたしが今ここでど真ん中にあるビジョンを掲げてみた
33歳、今のわたしが描くど真ん中にあるビジョン・ミッション・バリューを掲げてみた。そもそもビジョン・ミッション・バリューって?てのは下の図がわかりやすく説明してくれていた。ありがとう、ネット社会。
1ヶ月くらいビジョン探求をうにょうにょしていた。
長い試練を抜けたわたしは自分の進む道を明確にしたい気持ちが高まっていた。短文で簡潔にこれ!っていうビジョンを掲げたいわたしがずっといたんだけれど、うまくまとめることができずにいた。
そんなある日、「みどりさんはみどりさんの思うビジョンを掲げればいいんじゃない?」って言われて、「へ?!そうなの??」と拍子抜けした。だって今まで見てきたビジョンってみんな「シュッと簡潔で、スッと心に入ってくるモノ」だったから。(こう言語化すると、頭ゆるそうと思ってしまうわたしもいる笑)
そっか。シュッと簡潔でなくてもいいんだ。なんだか囚われていた自分が解放された瞬間でもあった。
簡潔にできたらそりゃいいし、憧れはあるんだけれど、わたしはわたしのど真ん中にあるものを出せたらそれでいいよねって、なんだか励まされた。
そうして少しずつゆっくりと言語化していったわたしのビジョン・ミッション・バリュー。
いつも共にいてくれる大切な仲間が、「今日は牡牛座新月だよ!ビジョンを再設定するのにいい日だよ!」と興奮気味に教えてくれた。
なんというタイミング…!もうこりゃ出すしかないよね、と今あるわたしのど真ん中を世に放ってみる。
Vision:半径5mの共鳴から始めるエネルギーの循環する世界をつくる
これまで「自己犠牲」や「困難」の先に「幸せ」があると信じて生きてきた。むしろ、その先にしか「幸せがない」と思っていた。 けれど本当は、それ以外にも、今この瞬間から幸せを感じることはできると信じている。人生で初めて無理のない、自己犠牲のない形で生きることができているわたしがいる。私はこのまま生きていきたい。これを私以外の人にも体験してほしい。そんな願いから、活動をしている。 わたしが無理なく生き続けることで、それに共鳴してくれる人が今度は無理なく生き続けることができるようになる。今度はその人と出会った人たちが共鳴して無理なく生き続けることができるようになる。最初は半径5mの身近な人たちでの共鳴かもしれない。けれどそれが段々と広がっていく。無理のない生き方ができる世界になる。そんな世界を実現したい。私1人ではできないかもしれない。でも、みんなとならできると確信している。
Mission:「いつか」のための今日ではなく、「今ここから」自分を生きる己であれ
まずは自分からはじめよう。
「いつか」のための今日ではなく、「今ここから」自分を生きる己であり続けよう。大きな挑戦ではなく、最初の小さな一雫を落とす己であれ。
それはもしかしたら、自分の気持ちを無かったことにしない、ということかもしれない。それはもしかしたら、相手に自分の気持ちを伝える、ということかもしれない。大きな挑戦ではなく、日常に小さなはじまりをつくろう。その小さなはじまりが共鳴を生み、その共鳴がやがて世界をつくる。そのためにまずは自分から、そして今ここからはじめよう。
Value:
わたしのままではじめる
今ここからはじめる
「いつか」くる未来のために「今」を犠牲にしない。
「今ここから」はじめよう。
「〇〇ができるようになったらはじめる」
「〇〇を達成したら…」
「〇〇に認めてもらえたら…」
日常でわたしたちは知らず知らずのうちに今のままでは「足りない」「できない」と思い込んでいます。本当にそうでしょうか。いつになったら「今のままでいい」「わたしのままでいい」と自分にYESと言えるのでしょうか。きっとそれはもう今からできる。わたしはそう信じています。今のわたしのままではじめてみよう。全てはそこからはじまる。
プロセスを生き続けよう
「どんなプロセスも楽しもう」というにはあまりにも理不尽なこと、悲しいことがありすぎるとわたしは感じています。
「なんでこんなことに」
「もうこんなのやめたい」
「しんどい」
そんな感情があっていいとわたしは思う。それらを楽しめなくたっていい。それでも、あたなたがいるそのプロセスを無かったことにはしないで。結果が全てとプロセスを無かったことにするのはあまりにも悲しい。楽しめなくていい、でも無かったことにはしないで。「ある」ものを「ある」と認めよう。解決するのではなく、ただ「ある」ものを「ある」と認め、プロセスを生き続けたその先に出会えるあなたがいる。
世に放ってみて
ビジョン・ミッション・バリューを世に放ってみて。
うんうん、これだよこれ!と、どっしりとわたしのど真ん中にしっかり根付いているこの感じ。大きなことをやりたいわけではない。きっとわたしが大切にしたいのは日常の中、今この瞬間にあるのだと改めて感じる。すぐには変わらないのかもしれない。コスパ・タイパ戦国時代のこの世の中を逆行しているのかもしれない。それでも、わたしが大切にしたいものは、これなんだ、そう心が叫んでいる。これを世に放って、いろんな経験をしたら見えてくるもの感じるものも変わってくるのかもしれない。
それもいいじゃない。
わたしは、今ど真ん中にあるものを出し続けたい。
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