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音楽と情景

自分なりのショパンの楽しみ方。

晴れた水曜日の朝、駅からショッピングモールをいくつも抜けて歩く。
前を歩く女性、陽の光があたって茶色くサラサラと清潔そうな髪が揺れ、
なんだかとても大きなお尻が気になりつつ、おっとっと、と目をそらす。
涼しげで爽やかな縞々のスラックスに、異次元のピアノの音色が調和して、ちょっと宙に浮いたように心地よい。
背中が汗ばんだポロシャツの男は、僕らの間をすり抜け通り過ぎていった。
この国では僕より速く歩く人は珍しい。

モールを抜けて、歩道を歩く。
足元には南国特有の大きな葉が落ちていたことや、
うっかり踏んづけそうになってしまった小さな虫のことなどは、
いつもなら思い返すこともなく、ただただ忘れ去っているはずだ。

歩道橋の傍にくると、いつもアリンコが行列を作っていることを知っている。だから踏んではいけないと、自然と足元に目線を落とす。
小さな黒蟻の列、大きな赤蟻の列を跨ぐ。
登ってきて噛まれたらさぞかし痛いことだろう。
先日、自宅に住み着いてしまった小さな蟻の一族を滅ぼしてしまったことを思い出し、深くも浅くもないけど、それでもきっと長く引っ張るであろう罪悪感が蘇ってくる。

信号を渡り、野原の横を歩く。
丁度草刈りが行われた様子で、歩道には刈られた雑草が散らばる。
さっぱりした草むらにはクチバシの黄色いジャワハッカが気持ちよさそうに戯れている。
あ、それと白鷺らしき鳥を見つけた。
調べたらLittle egretという、やっぱり白鷺だった。
ひょっとして、遠く日本から越冬のためにやってきたとか?

僕はこの草むらが好きで、今日はピアノの浮遊感につられて写真を撮る。
ついでに足元から長く伸びる影帽子のショットも。

普通の朝、いつもの光景なのに、
ひとつひとつの情景が、記憶に刻まれる。

どちらかというと苦手だったショパン、
自分なりの楽しみ方が見つかった。

舞台裏

  • 音楽を聴きながら読書はできない

  • 昔からつい聴き流してしまうショパンならどうだろう?

  • 通勤電車で試してみる

  • なるほど、若干の障害にはなっているものの、それほどの障害にはなっていないが、つまりは聴いていないということ。

  • ドビュッシーの「月の光」ならこうはいかない。自分にとってあれはポップソングだ。気が散って文字から情景を思い浮かべるなんてとても無理だ

  • よって、音楽と読書の間にはよい化学反応は生まれず、どちらか一方しか楽しめないとわかった

  • 映画と音楽の相性は抜群なのに

  • 電車を降り、試しにショパンを聴きながら会社まで歩いてみよう

  • いつもは自分の曲や、好きなロックやジャズを聴きながら歩く通勤時の道のり

  • 今日はなんだか特にゼンハウアーのイヤホンの音質が心地いい

  • 慌ただしい通勤の情景が異次元の空気に包まれる

  • なんじゃこりゃ

  • いつも気に留めていない、情景が心地よく視界に入ってくる

  • おいおい、こんなところに白鷺? この国にも白鷺がいたんだ、と。

  • 普段は歩くのが遅いこの国の人たちをイライラしながら追い抜いているのだが

  • そんな日常が全く違う穏やかな景色に溶けていく

  • おお、これは素晴らしい

音楽の受け止め方
ショパンは旋律を追うのではなく、情景とともに、浴びるように楽しむのが(自分にとって)至福だとわかった。静かな異次元に連れて行ってくれる

情景の受け止め方
絵を描くようになって、普段は気に留めることもないモチーフ(モノやコト)の細部を観察するようになった

両者の親和性は高く、異次元空間のような化学反応が起きるのであった

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