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「特別ぶっている」のではない、発達障がい者の真意とは

発達障がいに関する情報発信をしていると、時折「何を天才ぶっているんだ」「自分は特別だと思っているのか」といった心ない言葉を目にすることがあります。もしかしたら、この記事を読んでいるあなたも同じような経験をしたことがあるかもしれません。

私たち発達障がい者は、日々の生活の中で本当に苦しんでいます。私の場合はADHDとASDを併発しています。その苦しみを少しでも理解してもらいたい、「自分にはこういう障害があるから」と伝えることで誤解を与えないようにしたい。そんな思いから、自分の障害について話すことがあるのです。

しかし、そのことを理解できない一部の人からは、「特別になりたがっている」「天才ぶっている」「気持ち悪い」などと平然と言われてしまうのです。私自身も、そういった言葉を聞くたびに悲しくなり、正直ムカつくような気持ちになります。

発達障がいを抱える私たちの多くが望んでいるのは、ただ自分の苦しみを理解してもらいたいということ。しかし、その思いが強すぎるあまり、発達障がいを持たない人からすると「気持ち悪い」と思われてしまうのかもしれません。

わかってもらいたいという気持ちが強すぎることが原因なのかもしれませんが、それほどまでに理解されないことが、私たちの苦しみの本質なのです。

残念ながら、多くの人は発達障がいに関心も興味もなく、時には胡散臭い目で見ているのかもしれません。でも、そういった誤解があるからこそ、悲劇が引き起こされることもあるのです。

私自身、情報発信をしておきながら、時にはこのような発信をしない方がいいのかなと思うこともあります。それでも、自分の経験を伝えたい、人の役に立ちたい、理解してもらいたいという強い思いから、情報発信を続けているのです。

私は、発達障がい者を「特別ぶっている」「天才ぶっている」「気持ち悪い」などと言う人たちが本当に許せません。だからこそ、この記事を書きました。発達障がいへの理解を深めるために、私たちの思いに耳を傾けていただけたら幸いです。


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