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僕がなりたかった大人とは

 21歳、大学3年の冬、僕はこれからつまらない大人になっていくのかもしれないと思った。

普通になりたくなかった僕は、

 12月、R-1グランプリの1回戦に出場した。
 周りの友達が夏ごろから就職活動に時間を注ぎ始めるなか、僕はその時間を1回戦突破に向けてネタを磨く時間として費やした。

 1月、思いを募らせて挑んだR-1の敗退を機に、就職活動を始めた。周りとの遅れを取り戻そうと過ごした日々は、R-1敗退の悔しさを忘れるほど早く感じた。

 2月、とりあえず受けてみようの気持ちで受けた企業から内々定をもらった。財閥系のグループ会社だし、業界でもそれなりの地位を得ている会社だから大丈夫だろうと思って、そこに入社を決めた。
 その1社しか受けなかった。2ヶ月もかからずに僕の就活は終わった。

 まだ大学3年の2月だ。僕より先に就活を始めていた同級生は、余裕で就活を続けている。今からでも受けられる企業なんて、いくらでもあるだろう。もしかしたら、そこでもっといい企業に出会えることもあるだろう。でも僕は就活をやめた。

 僕にとっては、どこに就職するかではなく、就職するかしないか、それだけが大事だと思ったからだ。

 普通になるのが嫌だった。僕はこれまで、『自分は、何者かになるべくして生まれた人間なんだ』と言い聞かせて生きてきた。

 就職するということは、普通になることの象徴のようなものだったから、その選択をした時点で自分の思い描いていた自分にはなれず、どんな企業に就職しようと同じだと思った。

 別に、普通になることがダサいことだと思っているわけじゃない。両親とか、親戚とか、学校の先生とか、今まで出会ってきた周りの普通な大人たちを、つまらない人間だと思ったこともない。

 でも僕は普通になりたくなかった。

 いや、本当は普通になりたかった。ただ、普通にはなれないと気付いたから、それを肯定するかのように普通にはなりたくない、なっちゃだめだと思うようになった。


普通になりたかった僕は、

 中学生のときは普通に友達がたくさんいて、彼女もいて、部活でもキャプテンをやって、それなりに充実した生活を送っていた。

 なのに、高校に入った途端、全然友達ができなくて、彼女ももちろんできなくて、部活も途中でやめてしまった。高3のときはクラスに話せる人が2人しかいなかった。朝、「行ってきます」と母親に告げてから学校に行き、学校では誰とも喋らないから、その日僕が次に発する言葉が「ただいま」だった日もあった。その日に話した人数を手帳のカレンダーに正の字で書いていたなんて話は、当時を象徴する僕の鉄板のエピソードトークだ。
 その頃は、とにかく青春を謳歌している周りの人たちに憧れて、ただただ普通になりたいと思った。

 それでも大学生になってからも、相変わらず友達はできなかった。普通になりたくて、みんなと同じようになりたくて、遊び方もファッションも話し方も価値観も周りの真似をしてみたけど、全然ついていけなくて、一人取り残されるような感覚に陥ることが多くなった。

 僕は普通にはなれないのかもしれないと思った。普通になろうとしたところで、周りと同じようにはなれないから、それなら普通にならないほうがいいと思った。

 普通になっちゃだめだ。そう自分に言い聞かせるように、僕はお笑いを始めた。自分自身を肯定するには、他の人にはない何かが必要だと思った。

 初めてお客さんから笑いを取った瞬間は、今でも鮮明に覚えている。

 自分の部屋で、大学の図書館で、家までの帰り道で。ネタを考えていた時間は常に1人だったから、笑いを取った瞬間、そんな1人の時間が肯定されたような気がして、今まで過ごしてきた、別にネタを考えているわけでもない1人の時間までもが報われたように思えてすごく嬉しかった。

 この嬉しさを誰かに伝えたかったけど、伝えられる相手が近くにいなかったから、控室に戻ってすぐ、全く話したこともない芸人さんに「今日のお客さん意外と温かいっすね笑」と話しかけた。

 友達がいないというエピソードも、容姿とか自分が抱えるコンプレックスも、お笑いの世界においてそれは笑いに繋がる大きな武器になる。

 普通になれない自分にとって、お笑いこそが自分の生きる道なのかもしれない。今まで周りに馴染めずにここまで来たのも、お笑いの世界で活躍するための布石だったんだと信じ込んだ。
 ようやく活路を見出せたような気持ちだった。

 ただ、すぐにでも大学をやめて芸人になるみたいな覚悟は無かったから、とりあえず大学生のうちはお笑いを続けて、自分が本当にお笑いの世界でやっていけるのかを考えようと思った。
 そして、その目安の一つが去年のR-1グランプリだった。ここで結果を出せれば、本格的にお笑いの世界でやっていけるかもしれない。そう考えた僕は、1年間R-1のことだけを考えて舞台に立ち、ネタを磨いたのだが、結局全く結果を残すことはできず、それを機に就職活動を始めた。

 プロの芸人になることは諦めたけど、別にプロにこだわる必要はないし、せっかくだから社会人になってもお笑いを続けよう。就活を始めた当初はそんな気持ちだった。
 けど就活を進めていくなかで、お笑いに対する思いも薄れていって、R-1敗退の悔しさも忘れてしまった。そこで初めて気付いた。

 僕は、お笑いがやりたかったわけではなくて、お笑い芸人という肩書きに憧れていただけなのかもしれない。たぶん、”お笑い”という周りがしていないことをしていたから、そんな自分に『自分は特別なんだ』と言い聞かせていたのだろう。

 それに気付いてしまったせいで、お笑いを続ける気も無くなってしまって、僕が就職先に選んだ会社は、土日勤務かつ地元仙台で異動が無く働ける会社だった。仙台には素人でも出演できるお笑いライブがめったになくて、今までライブに出るときは土日に東京まで行っていたから、つまり僕はアマチュアとしてもお笑いをやめる覚悟で就職を決めた。

 面接の際、面接官に言われた。「正直うちの会社はかなりきついです。でもその分の給与は保証するし、やりがいも感じられると思います。」
 そう言ってもらえたのは嬉しかった。お笑いをやめて、これといった熱中できるものもなければ、友達も少ない、彼女もいない、そんな僕に仕事という生きがいができたらいいなと思った。

 一方で、R-1に敗退した悔しさもいつの間にか忘れてしまったことが悲しくて、常にお笑いのことを考えていた時期もあったくらいなのに、すんなりとお笑いをやめる決断ができてしまった自分がただただ情けなく思えた。


僕がなりたかった大人とは

 ここまでいろいろと書いてきたけれど、結局僕はどんな人間になりたかったのか、自分でもよく分からない。
 漠然と、普通になりたくないという思いがあったけど、そもそも普通っていうのが何なのかも分からない。
 恐らく多くの人が「俺、普通になりたくないんだよね」って言ってる人を見たら、「自分に酔ってる」とか「現実から目を背けているだけ」と思うだろう。でも僕は、自分は”そういう人たち”と違って、「普通になれないから、普通になっちゃだめだから普通になりたくないだけ」とか言って、自分を正当化した。
 でも実際は僕も、大したことない自分の才能に期待して、現実から逃げようとした”そういう人たち”と同じなんだろうなと、ここまで書いて思った。

 これを書き始めたのが就活が終わってすぐの3月初めで、そこから投稿するのに1カ月半もかかった。書いていくなかで、結局自分が何を書きたいのか分からなくて、でも何かを書きたいという思いはあって、それが何なのかを考えながら書いた。未だに、何が書きたかったのかよく分からない。多分、就活が終わって、いよいよ大人になっていくことを実感して、悲観的になっただけなのだろう。

 冒頭で、「僕はこれからつまらない大人になっていくのかもしれない」って就活直後のネガティブ全開だった自分が言っていたけど、絶対にそんなことはないと思う。

 自分のことなんて、自分の行動次第でいくらでも幸せにできるはずだ。そう信じて、実は今までお笑い以外のこともそれなりに頑張ってきた。

 お笑いに熱中して全然就活してなかったとかカッコつけてたけど、ちゃんと就職先の業界では必須の国家資格を大学在学中に取得したし、タバコは吸ったことないし、ギャンブルもしたことないし、友達が少ないから飲み会とかもめったに行かないし、服には毎月数万円お金をかけるくらいファッションには気を遣っていて、髪も毎日ちゃんとセットするし、行きつけの美容院があって、担当の美容師さんとも仲良い。最近は眉毛サロンにも通うようになった。あとは、健康のためにジムにも通っている。美容効果・ダイエット効果があると聞いてそのジムにある酸素カプセルに入り放題の会員にもなった。もしかしたら無駄に意識高い系の奴ってだけなのかもしれないけど、一応自分なりに努力はしているつもりだ。

 ふと思うことがある。僕は、何のためにここまで頑張っているのだろうと。自分のため??だったら、僕はそろそろ幸せになっていい気がする。

 あー、頑張れ。頼むから幸せになってくれよ、俺。

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