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いってらっしゃい



2021年8月31日PM22:00頃、我が家の年長者シリル(ヨークシャーテリア)が永眠しました。
享年16歳8ヶ月。





白内障でほとんど視力がなくなってはいたものの、お家の中でジッとしていることはなく、いつも元気に動き回っていたシリルが、少しずつ寝る時間が増えたのは1週間ほど前くらいからでした。


それでも食欲はあったのでさほど心配はしていなかったのですが、5日前には食欲も無くなり立つことも出来なくなり寝たきりに。


老衰でした。


唯一の救いは、私が未だにほとんど休業状態なので、しっかり傍で介護ができたこと。
たまに仕事が入った時には、母が懸命に介護してくれていました。


苦しむような様子は一切なく、最後に息を引き取る時まで穏やかな表情でした。
そして、固く閉じていた口を2回ほどパクパクとさせ、静かに旅立っていきました。


昨日お仕事から昼過ぎに帰宅した時、ふっと空を見上げると天使の羽ʚ❤︎ɞのような雲☁*°が浮かんでいて、なんとなくですが、
{そろそろお迎えが来るのかな}
とボンヤリ考えていたりして。



年齢も年齢なので、ある程度覚悟はしていましたし、やれるだけのことはやれたのではないかと思います。
それでもやはり寂しい気持ちもあります。
ただ、流れてくる涙の意味は寂しいよりも、申し訳ない気持ちの方が大きいです。



5歳の頃に我が家にやってきたシリル。
先代のヨークシャーテリア・シジミとは全く正反対で、男の子のようで不器用でマイペースな子でした。
ダメだと解っていながらも、シジミと比べてしまうところもあった気がします。
だから、シリルが望むような愛情がかけてあげれなかったと思うのです。


今更何を言ってもただの言い訳でしかありません。
あるのは、シリルが居なくなってしまったという現実だけ。


本来なら最後の別れくらい時間をかけたかったのですが、気温が高いのが気になるので、朝一で告別式をしてお見送りしてきました。
なんの根拠もないですが、先に同じところで告別式をしたファブリシオがお迎えに来てくれたような気がします。






我が家に女の子がいなくなり、男の子2わんだけになってしまいました。
当たり前にある存在がいなくなり、ポッカリ穴が空いたような気持ちです。
しみじみ当たり前なんてことはなく、日々有難いことで作られているのだということを実感します。



元気かと問われれば、哀しい寂しい申し訳ないという気持ちで心は複雑ですが、しっかり見送りもでき落ち着いてはいます。






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