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放てば手に満てり

9月30日をもって、27年間勤務した会社を退社した。社長として11期を務めさせてもらった。退任を計画的に実行したわけではなかったので、シレッといなくなった。周りのお世話になった方々へのお礼を伝えることはほどほどに、現在は知的障がいのある息子と日中を慌ただしくも、のんびりと過ごしている。(代わりに奥さんがフルタイムで働きだした💧)

ただ共にいるということをしたい。(実は認知症の母親も同居している)という想いと共にこの生活に入った。怒ったり、笑ったり、じっとしたり。今までにない時間の使い方をしている実感と飛ぶように流れる時間に焦りも交わりながら、社会から少し離れている。平日息子と散歩しながら眺める秋の空は、こんなにも美しいものなのかと改めて感じた。

社長に就任した2009年10月は、会社の主要顧客(なんと70%以上の依存率)の中国への生産移転が完了した時期で、売り上げが激減する事態が目の前に迫っていた。税理士などから就任を促され、火中の栗を拾うがごとく自分の意志でそれは手に取らなければならなかった。

手に取った後はもう何が何だか分からないくらい焦り、いろんなことを即決で実行するという事態になり、腹落ちとか覚悟をしたのは、就任後半年以上過ぎた後であった。折からのリーマンショックで融資は受けていたが、社長就任時はその融資資金はすべて枯渇し、返済だけが残っていた。いろんな人を傷つけ、自分も深く傷を負った。最初の半年の記憶の詳細はない。

火中の栗は、むちゃくちゃ熱くて、いくつかは爆ぜた。

10年の月日が流れ、やがて栗は秋の味覚の如く美味しくなっていった。いろんなことはもちろんあったが、10年間会社は存続した。

障がいがあるとか、まともであるとか、ないとかに関わらず、ごちゃまぜ人材の活用ででイノベーションを起こしたいとここ数年は活動をしてきた。移住してくる若手社員も増えた。部活動など個性を外へ表現する者も増えてきた。働き方や世の中の価値観が変わりつつある中、これからがとても楽しみであった。

早川工業株式会社


なのに~それを急に手放し退任した。経緯は割愛するが、直感で意外にあっさりと行動できた。

美味しく実りそうな栗

宝の原石

執着の塊。。。になりつつあった

を手放した。自分の意志で。

ここでまた自分の「意志」でと書いているが、本当に意志だったのだろうかと感じている。手に取る、手から放つという自分の行動ではあったのだが、意志とは別の何かに働きかけられていた気がする。どちらの時も周りの方々からは、とても勇気がいることですね。と言っていただいた。いわゆるチャレンジという意味では同じ意味なのかもしれないが、その有様は全く違うものであった。

10年前は戦い挑んだ自我の表れだったと感じている。得るものは多く満足感も得られていたかもしれないが、自我はいつまで経っても満たされることはなく苦しみの連続である。しかし、自分の執着から少し距離を取り、自然に任せて放ったら、ここ数ヶ月で、縁を通じて意図していなかった繋がりを多くいただいた。

相対した境地を体感し、またそれは同時に不二でもあった。

※不二=対立していて二元的に見える事柄も、絶対的な立場から見ると対立がなく一つのものであるということ。

放って空いた空間に風が吹き込むように入ってくる。

息子と共に歩き、秋の空を美しいと感じた気持ちのように。

退任時に鎌倉のカレー屋店主から頂いた言葉(極楽語)が沁みる〜

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