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映画感想文「怪物」

是枝監督×坂本裕二作品。言わずもがな。

第一章 親目線
親にとっての「怪物」は、子どもたちとろくに向き合いもしない教師陣。
自分の子どもの行動や態度がおかしい、問い詰めると「担任にいじめられている」と言うので何度も学校に掛け合うが、担任だけでなく校長、学校ぐるみで何かその場しのぎな対応をしようとする教師たちに絶望する母親。
ここで言う「怪物」は、「人間でないもの。人の心のない者。話の通じない相手」を指していたのかなと。

第ニ章 担任教師目線
担任にとっての「怪物」は受け持ち生徒と先輩教師陣、メディア。
善意100%で向き合うも、なぜか自分が加害したように受け取られてしまう。最初は子どもたちに「誤解を与えた」と考えていたが、後にそれが悪意のある嘘だと気付き、気付いた頃にはもう自分に貼られた「体罰教師」のレッテルがメディアを巻き込んだものになっている。
正しいものを正しい、と言うことが大好きな堀先生にとって、事実をねじ曲げて悪意のある嘘を吐く生徒たちや事実をねじ曲げて謝罪する教師陣を異様に感じる。
ここで言う「怪物」は「何を考えているか分からない不気味なもの(子ども)」「強い影響力を持つもの(先輩教師陣、メディア)」なのかなと。


第三章 子ども目線
子どもたちにとっての「怪物」は、自分自身。
星川くんは親から「化け物」「お前の脳は豚の脳」と常日頃から言われることで、男らしくできない自分、時に男の子を好きかもと思う自分が"普通"の人間ではないと考えるようになる。
麦野くんはそんな星川くんと仲良くするようになったことで、男の子への好意を自覚する。それが「将来普通の家族を持つことが幸せ(麦野母が発言)」「男らしさ(教師が度々口にする)」など、自分の周りの大人の考える常識からは大きくかけ離れており、「病気だ(星川父が発言)」と揶揄され、世間ではバカにされるようなこと(麦野母とテレビ鑑賞中のシーン)なのだと理解し始めた麦野くんは、自分を気持ち悪いと感じるようになる。
ここで言う「怪物」は「何か"普通"じゃないもの」。怪物ゲームで出てくるブタ、ナマケモノ、、、それらと自分たちが同列と考えたのかなと。 

子ども同士で考えていること、子どもが咄嗟に吐く嘘、これらの意図が大人には理解できないし、きっと気付くこともない。説明されてもきっと理解できない。

私も昔、同じようなことがあった。
小学校1年生の頃、友人との下校中に道草をし、帰宅が遅くなったことがあった。母はそんな私を「何していたのか言いなさい」と叱った。私は咄嗟に「◯◯ちゃんに無理矢理連れられて遅くなった」と嘘を吐いたら、母はその言葉を鵜呑みにし、先方のお宅に文句の電話をかけた。
私が嘘をついたのは「母に叱られたから」。保身のために咄嗟に友達を売った私の悪意には気付いてない。
「自分の子どもが嘘をつくなんて」「自分の子どもに限って」どこの親もそう願うのだろう。母は未だに得意気にこの話をする。
私はこの浅ましさが疎ましく、強い嫌悪感を抱く。

この名前の付け難い気持ちが表現された作品だった。

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