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エッセイストになるまで【6】有名人のお友だち枠

17年ほどマスコミにいたので、私にはいわゆる有名人の知り合いがちらほらいる。

でも、すごいのはその人なのに、自分はその人とただ偶然、知り合ったに過ぎないのに、その人と遊んだりその人によくしてもらったことを、ベラベラと人に話し、「えーすごいね」と言ってもらうのは超絶ダサいこと。それに、そういうことをしていると、その人との信頼関係が濁る気がする。

エッセイを書くにあたり、そこに悩んだ。

だって本当は、自慢したいっ!

森三中の大島美幸さんがカメラの回っていないところでもどんなに親切か。
漫画家のたかぎなおこさんが私の刺繍の個展の芳名帳に書いてくれたこと。
角田光代さんと窪美澄さんが私の結婚式にくれた言葉。

か、書きたい……。

それに、そういう人たちのファンがこのエッセイにも興味を持ってくれるかもしれない。ヒットにつながることならなんでもしたい。でもやっぱり、友情を利用するのはいけない。私はすごーく仲いいつもりでも、あっちはそうでもないかもしれないし……。

でもでも、あれなんじゃないの? これって自分のためだけとも限らないのでは? みんなだって彼女たちが普段もすごく素敵な人たちってことを知りたいのでは? 純粋な〈友だち自慢〉ならいいのでは?

清よ、それは本当か? 100%純粋な、友だち自慢なのか? 君はメロスか? メロスじゃないのか?

うぐっ……。

というエンドレス自問自答を繰り返していた。

同じころ、エッセイの勉強を、と「向田邦子ベスト・エッセイ」(ちくま文庫)を読んでいたら、角田さんが解説文を書いているのを見つけた。

売れっ子脚本家で、時の人だった向田邦子について、

しかしそのはなやかさ、とくべつさをひけらかすことを、この作家はぜったいに自分に許さなかった。芸能の世界にいた人だと、読み手が忘れてしまうほどに。(中略)よほど強く深い信念が、無意識にせよあったはずだ。その信念の礎は、含羞だと私は思う。

「向田邦子ベスト・エッセイ」解説/角田光代

カアーッと全身が熱くなった。そうだ、この含羞を絶対に忘れてはいけないのだ。

私はそれから、せっせと「有名人じゃない人たち」の「きらびやかでない世界」のことを書いた。中学の幼馴染みや、父や母や、男ともだちや、大阪の友人たちのことを。

書いてみて気づいた。
その人が、私にこう言ってくれた、こんなふうに接してくれた、そのことを、私はいつだって自慢したい。その人が、有名であろうが無名であろうが、文章にして残しておきたい。ひとつひとつが、この世界が「ええもん」であることの小さな証明になるから。

結局、私は「育休中、くすぶっていた時に角田さんと窪さんに救われた話」や「角田さんに小説書いてよって言われた話」など、エッセイ上、これは絶対に書いておきたい、というところだけ、お二人にご登場いただいた。有名人としてではなく、心優しい先輩たちとして。

お二人には登場箇所のゲラをお送りし、へんなところがないか確認してもらった。角田さんも窪さんも、「すごくいい人みたいに書いてくれてありがとう」って言ってくれた。

いやいや、お二人とも、すごくいい人なんですってば!

出版の暁にはお祝いの会をしてくださるという。
ああ、また自慢したくなっちゃうなあ…。





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