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いけばなで身体性の回復、とかいいながら、全然自分の身体の声を聞いていなかった

数ヶ月前からつらつらと考えていて、一度書こうとおもって「あたまとこころとからだ」というタイトルをnoteに下書きしたままなんか書けずに止まっていたこと。

このところようやっと言語化できてきたのでまとめてみます。

頭、心、身体

頭、心、身体。現代は頭が他の二つを引っ張っている時代、と言っていいのではないかと思います。

限られた特権階級を除けば誰もがほぼ一日中身体を動かしていないと生活をが回らなかった時代が長く続いた後、機械が進歩し、世界的な分業が進むことによって、そんなに一人ひとりが身体を動かさなくても生活ができるようになった。あいた時間やエネルギーを頭に回すことで、政治、経済、社会、ビジネス、アート・文化などあらゆる分野で新たなアイディアが大量にスピーディーに生まれ、それが実現される。

これは素晴らしいことだし、必然の流れだったのでしょう。

「となりのトトロ」のサツキとメイの家族の日々はため息がでるほど美しくたくましいけれど、観るたびに「その日を生きるために使っている時間と体力、半端ないなあ」としみじみ思います。水を汲んで火を起こし、手で服を洗濯して。また火を起こしてお風呂を入れる。そして田植えに畑のお世話。病院いくのに自転車で3時間。私だったら朝7時時点でばててる。

(あのトトロ生活だってたかだが数十年前の話で、人類の歴史から見ればすっかり現代です。だから子どもは学校に行けるしお母さんは入院して身体を治せるしお父さんだって遠い街の大学に働きにいって夜は自分の好きな研究ができる。)

でもきっと、頭がやりたい・やらなければいけないと考えることに身体を使う、というのが行き過ぎてしまうと、常に身体が頭に引きずられている状態になる。

身体が疲れ、身体と直結する心も疲れてしまって、でもそのことすら頭が塗り替えて自分でも気づかない。だからますます身体と心が疲れていく。豊かな、刺激溢れる現代の裏の顔。

いけばなによる身体性の回復

そんな中、いけばなには心を整えることと加えて、身体性の回復、身体の声を取り戻す、という意義もあるのでは、と感じ、そのことを講演やワークショップ、レッスン、ブログなどいろんな場所でお伝えしてきました。

花をいけるとは花を「いかす」こと。頭を止めて心もまっさらにして花に向き合う。そうすると自ずと花の声が聞こえてきて、それに対して自然と身体が動いていく。

実際、花をいけている時は、こうした感覚の中にあることが多いです。「うまくできるだろうか」「時間に間に合うかな」という不安、「よい作品をいけたい」という欲が頭から発されて、心もそれで乱れることもしょっちゅうありますが、でもそんな思考や心の動きをはるかに上回る花の力のおかげで、比較的すぐにまた身体がダイレクトに花の声を受け止める感覚に戻れます。そこに戻れない日であっても、少なくとも「あ、頭が動いたな」「心が乱れたな」ということに自分が気づいている。

では、いけばなという限られた時空を出た時の自分はいったいどうだったのか。

今振り返ると、身体性の回復、とかいいながら、自分の身体の声なんて全然聞いてなかった、のが実情でした。

ずっと身体はメッセージを出していた

2018年10月。ご縁があって儒教の聖地である湯島聖堂でIKERUの単独展覧会を開催することができました。参加された方の作品は、展覧会でいけばな4回目、という方も含めて、どれも美しく力強かった。そしていけばなの作品を展示するだけでなく、いけばなと深い関係がある仏教や儒教について、お坊さんと中国思想の研究者の方と語り合う豊かな対談も行うことができた。いやあ、すごい場でした。

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(写真:玉利廉延)

でもその直後から、肩甲骨のあたりが激しく痛み、夜も寝れないぐらいに。家の近くで鍼灸院を見つけて駆け込みました。

それが、はりきゅうるーむ朝の葉の竹井智子先生との出会いでした。竹井先生は、身体がどうしてその症状になっているのかを血液、神経、筋肉など複数の観点から総合的に推察した上で、鍼とお灸を用いて施術してくださいます。2回目で嘘のように痛みが消えました。

それ以来、定期的に竹井先生のところに通うようになり、そこで教えていただいたのが「身体中心の生き方をするとはどういうことか」ということです。家から徒歩5分のところにたまたまいらしたGoogle検索で見つけた私の人生の身体の師匠の一人です。なんという幸運。

行く度に竹井先生は「身体を真ん中におく生き方」ということを根気強くおっしゃってくださっていました。

身体を真ん中におく、というのは、大きく言うと二つのことがあります。まずは身体の土台、循環をつくるための食事、睡眠、運動です。砂糖をやめる。22-2時の間は寝る。朝日を浴びる。足湯する。適度に身体を動かす。

もう一つは、生き方の話。あれもやりたい、これもやらなきゃ、と頭から動くと、どうしたって忙しい生活となる。一方、身体が心地よい状態であるか、というところから始めれば、おのずと力が抜けていく。竹井先生いわく「ずぼらになるのよ」と。

竹井先生は痛みの意味も教えてくださいました。痛みは身体からのメッセージだと。

現代は、身体が痛いとすぐ痛み止めを飲んで、頭が思う通りのそれまでの生活を送れるようにする。痛み止めを多用すると頭の中での痛みは消えても、そこを治したい身体の観点からはむしろ悪化する。そしてメッセージをいくら発してもこの人全然聞かないな、と身体が諦めてしまうと、痛みすら感じなくなって、身体の悪化は進んでしまう。そして病気になる。

でも、その頃の自分は、人生回り道と迷走の挙句ようやっと定まった「いけばなの叡智を現代に伝える」という天職の活動をやっているのだから、止まるわけにはいかないと思っていました。それなりにゆるゆるしているつもりだったし。砂糖をやめる、夜更かししない、みたいなことも、あんまりちゃんとやらないままでした。

だから、そのあとも、身体の不調は続きました。霜焼けが進みすぎて一部壊死みたいになっていたり(東京で凍傷?!)、時々いきなり高熱でぶっ倒れたり、喘息になったり。

そしてその時は意識していませんでしたが「身体がだめになったら竹井先生に治してもらえばいい」という甘えがありました。突っ走って倒れたら助けてもらえばいい。

そういうことではなく、そもそも突っ走らずに生きて、自分で自分の身体のことを大切にする、ということを教えてくださっていたのに。

身体の不調から病気に

その結果、ついに不調を通り過ぎて病気になりました。2019年の6月あたりにバセドウ病を発症。ちゃんと診断がついたのは年末なので、半年は病気のまま走り続けていたことになります。

バセドウ病は自己免疫疾患の一つです。自分の器官である甲状腺を外敵だとみなして攻撃する抗体がつくられ、それが甲状腺を刺激し続けて甲状腺ホルモンが過剰に作られます。甲状腺ホルモンは身体の新陳代謝を促すものなので、それが過剰に作られるということは、新陳代謝常時マックス、寝ていてもマラソンしているのと同じ状態になる、というもの。

医学的にバセドウ病の原因はまだ解明されていません。でも、たぶん、甲状腺が、その時の私の身体からみたらテンションが高すぎる生き方に付き合って一生懸命新陳代謝しているうちに、たがが外れて常時新陳代謝状態になってしまった、ということなのだと思います。

その時の自分の身体からみたら、というところが大切です。過去の自分やまわりと比べても無意味。その時の身体は痛みや高熱などを通じてたびたび「もうだめです」とメッセージを出していたけれど、猛烈に働いていた過去の自分と比べたり、自分より圧倒的にエネルギー高く活動量多く動いている他の人と比べて「いや、十分ゆるゆるしている」と頭が思い込ませて、身体からのメッセージをブロックして。

それでいて、いけばなの場では「身体性の回復」みたいなことを言っていました。もう身体は不調を通り越して病気だったのに。

何を言ってんだか、ですよ。

病気になってもまだ頭から動こうとする自分

病気の診断が出て、IKERUのみんなにも励まされて、ようやっといけばなの活動を休止する決意を2019年末にしました。

最初は未練たらたらです。休むと決めたにも関わらず「この講演はやれるかな」「このレッスンだけはできるかな」と、油断するとすぐやろうとする。3月にはコロンビア大学国際関係大学院CIPAの方々へのワークショップも入っていて、私はもともとワシントンDCにあるCIPAと同じ専攻の大学院に行っていたこともあり、「これは自分こその場だったのになあ」と思うと切なくてなかなかお断りのメッセージも書けない。

しかもバセドウ病の治療薬メルカゾールがめきめきと効いてきて、実際に身体も元気になってきました。それまでは寝ていてもマラソン状態だったのが、寝ている時は寝ていられるようになったということで、そりゃ元気になります。38キロぐらいまで落ちていた体重もドクターから「戻るの早すぎ」と諌められるぐらい順調にぷくぷく。

あのまま行っていたら、また走り出してしまったでしょう。身体を置き去りにして。

コロナ、そして薬の副作用と手術

そこへ起きたコロナ。未練たらたらでお断りか代理体制での実施のお願いをしていた講演・ワークショップは全部キャンセルとなりました。一番未練があったCIPAはニューヨークにあります。当然キャンセル。

さらに3月末、服用しているバセドウ病患者の1,000人に1-3人といわれるメルカゾールの重篤な副作用、白血球が激減する無顆粒球症になりました。確かにドクターから「高熱と咽頭痛が出たら、風邪だとか思わずにすぐに病院に来てくださいね。命に関わりますので」と言われてましたが、そんな稀なロシアンルーレット、まさか自分に当たるとは想像すらしていませんでした。

無顆粒球症治療の入院。もうバセドウ病の治療には薬を使えない、ということで自己免疫を起こしている甲状腺を全摘する手術のためまた入院。4-5月はほとんど入院していました。

ここまできて、ようやっと腹落ちしました。身体を中心に置く生き方にしよう、と。

どれだけ自分に頭が身体を牽引する生き方が染み付いていたのかと、もはやぞっとします。身体の不調、痛み、そして病気。それでもだめで、コロナという社会の強制一時休止、そして薬の副作用があって、そうか、私は身体の声を聞いてなかったのか、と気づく、という。

かわいそうなのは私の甲状腺です。一生懸命私の生き方に付き合ってくれて、それでついていけずおかしくなって、挙げ句の果て全摘されてしまうなんて...手術の前日、病室で瞑想しながら自分の甲状腺に「これまで付き合ってくれて本当にありがとう」と深々と感謝をしました。

身体中心の生き方の初心者

ということで、ド初心者として、身体中心の生き方というものをやろうとしています。まだ始めたばかりですが、日々感じているのは「身体中心の生き方ってすっごくシンプル。なのにすっごく難しい」ということです。

要は、早く寝て、早く起きて、身体にいいものを腹八分目で食べて、無理しないで、「暮らす」を端折らないで、みたいなことなのです。

しかし今は初心者だけに、このシンプルなことがシンプルにできない。

「毎日瞑想やヨガをちゃんとやる」を心がけると、今度は「朝早く起きなくちゃ時間が足りない」となって、なんか焦ってえらく早く起きるから常時睡眠不足で、瞑想中うたた寝したり、とか。

よし、「暮らす」をちゃんとやるために生ゴミで堆肥をつくるコンポストだ!サステイナビリティだ!と始めてみたものの、開けたら虫がぶわーっと出てきてひえーっとなって2週間で心折れたり、とか。

3歳の娘とクッキーを作る際には、クッキーミックスやバターを使わずに、米粉とアーモンド粉とメープルシロップと野菜を使ってクッキーを作ろう、ということで、全部買い揃えたらクッキーミックスの30倍はする金額になって、そしていろんな工程におたおたしている間に娘が飽きて終了、とか。

ちょっとずつ、一歩ずつ....

追記

ブログを読んでくださった竹井先生がメッセージをくださり、それがまた至言でしたので、追記として引用させていただきます。「初心者」と言う言葉、私は「今は初心者だけどきっといつかはできるようになる、できるようにならなきゃ」という気持ちで使っていました。無意識に。またもや「〜しなくちゃ」の頭が発動していた...

いのちはいつもビギナーです。むしろ、ビギナーでい続ける存在です。生きているということは、常に初めてのことに出会って対処していくことです。
身体の細胞たちは、食べたもので作り替えられているので、今日の身体は、昨日の身体と違います。慣れてきた感覚になったとしても、それすら、初体験です。身体は、産まれて旅立つまで、変化し続けています。その意味で初体験の連続です。最後に、死ぬという初体験をもって、人生という物語に幕を閉じます。
 不慣れ感こそがいのちであることの面白さではないかと思うのです。つまり、ビギナーであり続けることが、いのちの自分を生きていることになるのではと。

「ビギナーであり続けることが、いのちの自分を生きていることになる」

肝(頭じゃなくて)に銘じて生きていきたいと思います。

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