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「子育て」をする意味

皆さん、考えたことあります?子育てをする意味について。

結構考えるんですよ、私。どんな時に考えてるかというと、そう、体調の悪い時です笑

体調の悪い時って、何もしたくないし、何も出来ないじゃないですか。せめて子どもの為に何か…と思っても、何も出来ない。

そんな時、「あ、もしかして、こういう時のために子育てしてるんじゃない?」って思ったわけですよ。

いやいや、違いますよ。親が倒れた時助けてもらうために…ではなくて、もし、私が突然いなくなったら…という時のためにです。

想像するとちょっと落ち込むし、すごいマイナス思考のように思えるかもしれませんが、よく考えて下さい。自然界ではとてもナチュラルなことです。

ライオンだって狩りの仕方を見せて教えるのは、子ライオンが独り立ちして生きていけるようにするためですし、他の動物たちの親が子を育てる様子を思い浮かべていただくとわかると思うんですけど、みんな親がいなくなった後に生きたくためのことを教えてませんか?

もちろん、人間もそうであるはずですし、人類の歴史の最初のほうは、確実にそうだったはずです。

親は、自分がいなくなった後にも、子どもがより良く生きれるように導くんですよね。

それを踏まえた上で、自分たち親を振り返って見るんですけど、そもそも自分が生きるのに必死で肝心なことを教えてなかったり、勉強が出来たらとりあえず大丈夫だと教えたり、現在では「生きる」には困らないから生きる為のことを真剣に考えなかったり…、じゃないですか?

もし、明日私がいなくなったら、子どもたちは何をして、どういうふうに生きるのか、一度想像してみてください。

絶対めちゃくちゃ困ってますよ、お子さん。

そんなの大変だわ、お金を残してあげないと…って思う人もいるかもしれませんが、お金だけあって、他の何も知らなきゃ結局役に立ちませんからね、お金なんて。

じゃ、何が必要でしょうか。これって正解がないから、永遠に考えないといけないことなんですけど、例えばうちは真っ先に家事を自分たちで出来るようにしてきました。これは基本かなと。

中1男子と小5女子がおりますが、一応ひと通り何でも出来ます。朝ももちろん起こしませんし、朝ごはんは自分たちで作って食べて、片付けまでやっていきます。洗濯物、掃除も全てのメンバーが出来るので、やれる者がやって、私の平日の家事はだいたい夕ご飯を作るだけです。

周りには、ある程度までは親がやってあげないと可哀想と言われますが、では「ある程度」とは正確には何歳くらいのことなのでしょう。

ね、これも正解がありませんよね笑

おそらく皆さん、もし、これをされてみたらわかると思うんですけど「親がやらない」ってめっちゃ苦痛なんです。親がやった方が早いし、危なくないし。あげく、親族から「可哀想」攻撃も来ます。

それでも、うちは、「万が一の時、ある程度の事をやれたほうが幸せでしょ?自分が出来ることで、みんなを助けてあげることも出来るんだよ」って教えています。

他には人との関わり方、お金について、学校の必要性などなどについて、子どもと話し合うことが多いですね。なるべく自分の意見を持つように働きかけています。

私はこういったことを「自立する」と捉えているのですが、子育てって、子どもが自立していくために必要なことを教えていくことだと思えてきませんか?

最近では、「甘えさせたほうが自立が早い」とか、「自立を焦らすと返って自立出来なくなる」など、言われますが、もう一度「自立」の意味を自分たちで考え直した方がいいと思うんですよ。「自立」は親目線じゃなくて、子ども自身の目線で見るべきものなのです。

親がいなくなったあと、子どもがどう生きることが幸せか…、と。

注意が必要なのですが、子どもが自立することを、親にとって都合が良い物と捉えてはダメです。この捉え方を間違うと、子育てにおける??選択肢を見誤ったりしますから。あくまで、子どもの自立は子ども自身の幸せだという観点をお忘れなく。

子どもが自立していくために必要なものって何か…いま一度考えると、今まで「子育て」に抱いていた価値観が変わってくるかも知れません。

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