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【#シロクマ文芸部】風薫るカレーの香り

 風薫る黄昏たそがれ時。
 学校が終わった僕は夕焼けが眩しいと感じながら下校していた。
 家の近くまで来た時、普段は閉まっている窓が空いて、そこから美味しそうな匂いが漂ってきた。
 その香りで今日の夕食がカレーだと分かった。
 ただいまと言うと、案の定エプロンを着た母が「カレーを作ったから手を洗ってきなさい」と言ってきた。
 僕は鼻歌をうたいながら泥の付いた手を念入りに洗った。
 僕は母の作るカレーが大好きだった。
 お肉は入っていないけど、その代わりにジャガイモとニンジンがふんだんに入った甘口のカレーが大好きだった。
 食卓に着き、母と向かいあいながら「いただきます」をして食べた。
 今日学校で起きた事を話しながら食べるのがお決まりだった。
 母は楽しそうに僕の話を聞いてくれた。
 必ず二回はおかわりをしていた。
 余ったら、容器に注いで冷蔵庫に入れる。
 明日も明後日も大好きな母特性のカレーが食べれると思うと、ワクワクした。
 母は汚れた食器を洗って片付けを済ませた後、「じゃあ、パパの事をお願いね」と僕の頭を撫でた。
 その瞬間、僕は夢が醒めてしまうんだなと思った。
「待って。ま――」
 僕が腕を伸ばそうとしても、母の身体は霞のように消えてしまった。

 そこで目が覚めた。
 チラッと時計を見ると、もう朝の七時だった。
 いつもなら会社に出る時間だが今日は有給休暇を取って休んでいるから慌てる必要はない。
 今日は大事な日だからだ。
 この日はどんなに仕事が忙しくても無理やり休みを取ってもらっている。
 俺は早々に身支度を済ませると、冷蔵庫を確認した。
 うん、昨日スーパーで事前に食材を買いに行ったから必要な物は全部揃っている。
 俺はエプロンを付けて、材料を切った。
 その後は手順に従って炒めたり煮込んだりなんかして、一時間ぐらいかけて作った。
 肉なしカレーの完成だ。
 これを保存容器に入れて漏れないようにさらに袋を入れて輪ゴムを付けたりした後、カバンに入れる。
 そのちょうどにご飯が炊けたので、それも同じようにしてカバンに入れた後、外に出た。
 最寄りの駅から何回も乗り継いで行くこと数時間。
 山が見える中、ろくに舗装されてもいない道を進んでいくと、卒都婆そとばが見えた。
 その中に入り、整列している墓石を目で確認しながら進んでいくと、母を見つけた。
「ただいま」
 俺はカバンの中からカレーとご飯を取り出すと、フタを開けて母の前に差し出した。
「母の日、おめでとう」
 俺はそう言って、母の頭を撫でた。

 挨拶を済ませたら、母と一緒にカレーを食べるのがお決まりだ。
 さすがにここに放置したら、母にカンカンに怒られてしまうので、全部綺麗に食べて持ち帰る。
 向かう途中でスプーンを忘れてしまったので、急遽コンビニで購入したものを使った。
 母の前で腰をかけたあと、いただきますと挨拶をして一口食べた。
 うん、美味しいけどなんか違う。
 やっぱり何回作っても母の味にはなれないや。

 母は俺が小三の時に交通事故で死んだ。
 ちょうど父と俺が母の日のお祝いのパーティーを終えて、仕事から帰ってくる母を待っていた時に警察電話がから来た。
 受話器を落とした父の顔を未だに忘れはしない。
 俺もしばらくは母の命を奪った神を呪いながら生活し続けたのを思い出す。
 ようやく立ち直れたのは、高三の頃だったっけ。
 父親が認知症を患ってしまったからだ。
 今は息子の事も死んだ母の事も忘れてしまったけど、俺は絶対に忘れない。
 忘れるものか。
 なんて事を思いながら食べ終わり、ジッと山の景色を眺めた後、「また来るよ」と母に別れの挨拶をした。
 すると、爽やかな風が吹いた。
 ほんのり母が作ったカレーの匂いがした。

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