湯が沸く迄の数分間
朝の台所。
働く家電たちと、ぼーっと立っている自分。
私の食事の用意は炊飯器と電子レンジで事足りることが多い。
あとは薬缶を火にかけるくらい。
毎日のように食べている冷凍のブロッコリーは、マヨネーズをつける以外の食べ方をあまり知らない。
同じものを毎日繰り返し食べることへの抵抗のなさ。
何かと同じ。
飼い猫のドライフードと同じだ。
同じ仕事をして毎日繰り返し生きることは容受出来ずいるが、かといって身の周りの生活へのこだわりもない。
意志や自制心を持ったダイエットを知らず、気分の波によって肥ったり痩せたりを繰り返している。
金がない時ほど不思議と肥える。
とある日は合計12時間眠ってしまい、その次の日は朝の4時まで起きている。
睡眠もまた下手で、寝すぎるか寝なさすぎるかのどちらかしかない。
自分の空っぽさを生活から感じて、反面、生活から外れたところに自分の人間味を感じる。
例えばこのように文章を書くこと、ステージに立つこと、何か物事(時にはすこぶるくだらないこと)を考え感じることにおいては、そこそこの情熱を持っているつもりだ。
それは時に狂気にも怒りにもなり得る程に。
人は常に少し怒っている、と思っている。
それを隠すように理性や教養、思いやりがある。
怒りを隠せないままでは人に成ったとは言えない。
常に隠せとは言わない。
時には怒らなければならない時もある。
ただそれが他人を必要以上に傷つける場合は、怒らなくてもいい時だ。
ぼーっと湯が沸くのを待っているだけの時間に、怒りについて考えてしまった。
湯が沸くのと腸の煮えるのが似ているからだろうか。
わからない。
限りなく生きるのが下手で無気力に見える自分にもこのような多面性があるように、人は一面だけでは捉えきれないものなのだと、自戒としても綴っておこう。
みんなも湯が沸くまでに何を思うか、意識してみよう。
怒りについてだったら握手をしよう。
普通に早くカップ麺食いたいとかでも全然いいし、握手をしよう。
こんな散らかった文章を最後まで読んでくれたのだから、いずれにせよ握手するのだ。
ぎゅッ……。
りさこ(魔夜中保健室/火曜日)
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