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北向きの窓辺から

 ゴールデンウィークが終わった。ずっと掛け持ちバイト三昧で、中には素敵な思い出もあったがやはり体力は削れきってしまい、久しぶりの丸一日の休暇ではほとんどベッドから動かずに過ごした。閑静なと言ったらお上品な感じがするが、本気で人が居ない孤島のような住宅街に住むため、窓の外から聞こえてくる音も鳥の囀り、木々のざわめき、猫の戯れくらいなものだ。排気音といえば出前館のバイクの音くらい。自分が呼んだ。
 飯を作る気力も無かったから、デカい弁当を注文して、届くなり「でっけ〜」とバカみたいに呟く。味はそれなりだったが、出前の弁当の味などそれなりでいいのだ。食後はすぐにまたベッドに戻る。窓辺に向けた枕は、青い空を見上げるのに丁度良い。部屋が北向きだから、直射日光が絶対に入ってこない。どの時間帯も。自分が暗い性格なのもこれが要因の一つなのではないかしらと思うくらい、日光が当たらない。
 しかしながら陽が差さずとも晴天は気分も晴れるもので、本当に何もしていないが清々しい気分であった。本当に何もしていないのに気がつけば午後で、外から聞こえる穏やかな自然の音に子どもたちの笑い声が加わる。「聞いてて、いくよ!」と奇声を上げる無邪気な声に、微笑ましい気持ちになる。私も加わって奇声を上げに行こうかな。お縄である。すっかり大人になってしまった。

 大人になるとは曖昧なもので、何が人を大人たらしめるのかは自分にもわからないが、兎に角してはいけないことの増えるような気のする。怒られるうちが華という言葉もあるが、普通に怒られたくはない。だからといって、怒られたくないがためにつまらない大人にはなりたくない。
 25歳という年齢は自分的には結構すぐに受け入れられ、身体に馴染んだ。大人かといえば微妙だが、確実に子どもではない。自身の性質は限りなく25歳的で、感覚的なものだがなんとなく精神と年齢が合致したような気がしている。ライフステージ的な話ではなく、思考としてだ。全然大卒カード投げ捨てフリーターだし、ライフステージは結構終わっている。ただ、一般的なレールに乗り損ねたからこそ見られた景色や出会えた人たちが本当に尊い。割と周りの皆はちゃんと仕事をしていたり活動的に生きている人が多いのに、こんな自分にも優しく楽しく、世界が広いことを知った。相変わらず狭い部屋で転がっているだけだけれど、この静かに賑やかな窓は色んなところに繋がっていることを今の私は知っている。今日は午後からお仕事だから、昨日感じたことをこうして書いて整理する。今は休日の延長線上だ。休みの次の日が遅番なのもかなりポイントが高い。

 そろそろお昼ご飯の時間だ。今日は流石にデカ弁かまさず、自分で何か作って食べよう。体力はチャージされたみたいだ。いざ北向きの窓辺から外の世界へ。

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