見出し画像

日常が日常のまま (生誕イベントについて)


こちらの写真は、2024/4/21(日)に行われる《閻魔帳ーりさこ生誕ー》のフライヤーに使用しているものです。

本日は、少し生誕のお話とフライヤーのお話をします。

フライヤーは自身で制作しました。
イメージは日本映画や舞台のフライヤーっぽく。

《閻魔帳ーりさこ生誕ー》フライヤー


私にとって“誕生日”は限りなく日常で、ただ飲み会をしていたら日付が変わって迎えていたり気がついたら数ヶ月過ぎてしまっていたりするものでした。
以前にもライブが重なって祝って頂いたことはありますが、自主企画として自分で生誕なるものを行うのはもちろん初めてです。

ぶっちゃけ渋りました。
普段友達が少なくて自信がないから。

しかし私はステージで出会った仲間やかっこいいと思う人は沢山いるので、勇気を出してお誘いし、有難いことにこんなに沢山のご出演を快諾頂いたわけです。中には、予定が合わずご出演叶わなかった方もいらっしゃいましたが、当日の成功を応援してくださる方々ばかりでした。感謝申し上げます。

私にとって日常であった誕生日は非日常に変わるのか?
そうも思いません。地続きなのです。
私はこのようにnoteを書いたりSNSに投稿したりする中で、かなり生活感の溢れる人間だと思うのです。夢がなくてすみません。
ですからどうせ夢もないのだし、生誕フライヤーに使用する写真はバッチリキメているものやステージの写真ではしっくりこなくて、友人が撮った素の自分の写真にしました。


旅先の蕎麦屋で鼻かんでる写真です。



退屈な映画がわりと好きな私は、それらの日常が日常のまま切り取られている様を良しと思います。ほんの少しだけ、事件が起こったりして。

私の生誕イベントは、みんなの日常は日常のまま、私の日常も日常のまま、肩肘張らずにライブして、飲み比べがしたいだけなのです。その中の大きな喜びが色彩に変わるのです。


当日はどうか、現地にお祝いに来て頂けると幸いで御座います。いつもお忙しくなかなか来ることが出来ない方も、そのような方々の為に早めに告知をさせて頂きましたので、どうかお越しください。
生誕、毎年やれるとは限らないのでね。



プレゼントは全然もうほんと、気を遣わなくていいです。くれるならタバコをいっぱいください。いくらあったって困りませんから。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?