春のような冬と心の代謝
1月某日。
私の暮らす町は北国であるから、例年であればこの頃は地面といえば雪に覆われ空といえば厚い雲に覆われている。
しかしこの冬は、1月も下旬だというのに晴れ間がよく見られる。
いつもの冬の私はというと、空の鉛色に呼応するように気分が淀み、非常に塞ぎがちになっていたものだ。
だからこそ冬の晴れた日はどの季節のどの天気よりも好きだったのだけど、今年はそんな日が多くてラッキー。
なんだか春を前借りしているみたいだ。
活動的にもなるというもの。
活動的になったものの相変わらず内向的である私の心は別に外出には向かない。
世界の最小単位、すなわち自室を思いっきり整えてやろうと考えた。
恥ずかしながら物を溜め込む性質があるため、非常に部屋を散らかすのが得意である。
あと、物を床に置いたり落とした物を放置したりする事に何の躊躇もない所が、余計に部屋の足の踏み場を奪う要因となる。
実は年明け前に一度片付けを始めていたのだが、それも志半ば。
“ある程度”片付いて、“ある程度”家具の位置を決めてしまったらあとはもう後日…という気持ちになってしまった。私はそういう人間だ。
その後日というのも1ヶ月程来なかった。
しかし冬の晴れの日ブーストがかかってしまえば最強。
要らないもの、着ない服、読まない本、昔のテスト用紙、ゴミ、吸殻、ゴミ、ゴミ。
全て纏めて引き取ってもらうなり捨てるなりしてやった。
数年前片付けをした際は“思い出”として何となく残しておいた物品や、気に入っていたが今の趣味ではもう着ない服なんかも、全部捨てた。
何だか今の自分のお気に入りではないものに部屋のスペースを取られていることを気持ち悪く感じた。
この心の動きは何かに似ている。代謝か。
不要な物を排する。心にも新しいエネルギーやアイデアが生まれる。部屋の細胞と共に心の細胞の入れ替わるのをひしひしと感じる。
3つあった本棚は1つに、床に散らばっていたものは何も無くなった。
一体何をそんなに置いていたのか、まだ数日しか経っていないのに思い出せない。
随分と長い間無駄なものにスペースを割いていたらしい。
不要な物を捨てないと新しい物が入ってこない、とはよく言ったものだ。
貧乏性故に物を持ちすぎていた部屋はパンク寸前で新しい物を入れる隙もなかったが、今整理された部屋を見渡すと欲しい物が沢山思い浮かぶ。そうしてまた散らかる。
それでいいじゃない。
思い立ったらきっとまた代謝がおこる。
みんなもそうなんだよね、多分。
小さな陸の孤島の小さな町で、小さな部屋から出たこともなく私の人生は進行形だ。
こんなに物を溜め込んで、ここを旅立つ日が来たらどうなるのだろう。
それはその時考えればいいか。
りさこ(魔夜中保健室/火曜日)
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