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この世の原理はときに非情でやるせない

「この世の原理・原則は時として非情でやるせないものだ」

これが『大吉原展』で吉原遊郭について学んだ私の率直な感想です。
吉原の歴史や文化、背景を学んだ結果、現代にも通ずるこの世の原理が2つ見えました。

今回は、そんな吉原遊郭の時代と現代に通ずるこの世の原理・原則について書いてみます。


この世の原理が非情だと思う理由①:生まれた環境によってその後の人生に差がでる


「この世の原理・原則は時として非情でやるせないものだ」

私がそう思った理由の1つ目は、いつの世も生まれ落ちた家庭環境により、その後の人生の苦楽に差が出ることです。

そもそも遊女達は親の借金の肩代わりをするために身売りされ、吉原にきます。

貧困にあえぐ家庭では牛や馬と同じように娘を売り、遊女が働くことで借金を返す仕組みになっていました。

つまり、もし遊女となった娘たちが裕福な武家の家に生まれていれば遊女にはなっていなかったはずなのです。

「苦楽に差が出る」どころではありません。自分の人生を自分で選べない、しかも体を商売道具にするという「苦」しか見当たらない人生と言っても過言ではないでしょう。

そうなった理由は、たまたま貧しい家庭に生まれたということだけです。

現代に「親ガチャ」という言葉があるように、生まれる家庭環境によってその人の人生の苦楽には差がます。悲しいかな、これはある意味事実ではないでしょうか。

当時の遊女たちの人生の苦難ほどではないにしても、現代にも同じことが言えると思いませんか。

今でこそ日本に人身売買はない(はず)ですが、ヤングケアラーのように親や幼い弟・妹たちの世話を強いられる10代もいたり、家庭の経済状況から進学をあきらめる子もいますよね。

そして残念ながら生まれる環境は自分では選べません。

「生まれる環境は選べない」・「生まれた環境によって人生に差が出る」のは今も昔も変わらないこの世の道理と言えます。

救いなのは、吉原の時代と比べて現代は自分の手で人生を切り拓く選択肢があることです。

遊女となった娘たちに、現代のわれわれが持つ選択肢の多様性はなかったはずですから。

この世の原理が非情だと思う理由②:実力主義・格差社会


「この世の原理・原則は時として非情でやるせないものだ」

そう思う2つ目の理由は、いつの世も人が集まれば格差が生まれる、ということです。

吉原には遊女をランク付けする「階級」が存在していました。

吉原の遊女といえば「花魁(おいらん)」が有名ですよね。花魁が絢爛豪華な衣装を着て吉原の目抜き通りを練り歩く「花魁道中」は映画のシーンにもなっています。

恥ずかしながら私は、吉原で働く遊女はみな「花魁」なのだと思っていたのですが、展示会での学習により花魁と呼ばれたのは遊女の中でもごくごく一部の最上級の一握りだけだとわかりました。

いい機会なので、後学のためにも遊女の階級を図にまとめてみます。


遊女の階級

上から呼出(よびだし)昼三(ちゅうさん)、付廻(つけまわし)とあり、このトップ3が「花魁」と呼ばれた遊女です。

その中でも花魁道中が許されたのは「呼出」と「昼三」までだそうです。

その下の「座敷持ち」は遊女が暮らす部屋のほかに、仕事をするための座敷を持っている遊女のこと。「部屋持ち」というのは座敷を持たずに寝起きをしている部屋で仕事をした遊女の呼称だそうです。

さらに下には河岸見世(かしみせ)、局見世(つぼねみせ)、切見世(きりみせ)と呼ばれる最下級層がありました。

このように、遊女の世界にはトップスターの「花魁」から最下級の「切見世(きりみせ)」までいくつか階級が存在し、階級によって収入・地位・扱い・環境 etc. が全く異なったのです。

トップスターの花魁(時代によっては「太夫」(たゆう)と呼ばれていたという説もある)は、大変格式の高い存在だったそうです。

そもそも「花魁」は誰でもなれるものではありませんでした。

大前提として容姿端麗で人気がなければいけません。容姿端麗という点で、すでにかなり振るいにかけられると思うですが、そこから人気を得るには、おそらくコミュニケーション能力も高くなければいけなかったことでしょう。

銀座のホステスが一流の客と会話できる知識が必要なように、吉原でも高級遊女が相手にする客は身分も高く、遊女側にもそれ相当な教養が求められました。

また、一説によると高級遊女を相手にするには相当のお金が必要だったそうです。

なぜなら、高級遊女の指名料、お座敷代、高価な食事やお酒代、チップなどを全て客が負担しなければならなかったからです。

現代のお金に直すと一晩で数百万という説もあるほどです。

このような額を一晩で稼ぐとなれば、トップの遊女は雇い主から相当重宝されていたに違いありませんよね。当然、待遇も良くなります。

……

一方で、最下級の「切見世」は遊郭周囲の「お歯黒どぶ」(吉原遊郭を囲う溝、遊女の逃亡を防ぐために設けたもの。遊女が使うお歯黒の汁を捨てたことが名前の由来)の近くの見世(店)を仕事場としていたそうです。

切見世の労働環境や生活は悲惨でした。

仕事は2畳ほどと狭く、歩合制なので一晩何人もの相手をしなければならなかったとのことです。

中には50代の遊女もいました。客からうつされた病気に苦しんだ遊女も少なからずいたそうです。同じ女性として大変胸が痛みます。

……

このように、遊女の世界には複数のランクが存在し、最上級の「花魁」と最下級の「切見世」とでは、全く違う待遇でした。

まさに実力主義、格差社会と言えます。

考えてみれば、現代においてもキャバクラやホストクラブのように夜の仕事では売上によりランクがつくますよね。

高いシャンパンを沢山入れてくれる太い客を持ったキャバ嬢が上位ランキングに名を連ね、収入も高く、地位も手に入れます。

一方で、売上が上がらないキャバ嬢なら収入がついてこないでしょうし、店での存在感や発言権も弱くなるでしょう。

また、アイドルグループのスタメンやセンター争いだって同じ原理です。

スタメンに選ばれてメディアに映れるのは一握りの人気のある子達だけです。

ましてやセンターを務められるのは氷山の一角。抜きんでた人気が無ければセンターにはなれません。当然センターを務める子は仕事も増え、収入も上がります。

その一方で、集団の後ろのほうで一生懸命踊る子達もいます。一軍としてメディアに出て歌って踊れるポジションならまだいいですが、その下には二軍もたくさん控えています。

センターどころか、努力してもアイドルとして陽の目を浴びずに引退する子もたくさんいるわけです。

……

これらのことから、吉原であっても現代のキャバクラ・アイドルであっても人気商売である限りいつの世も実力主義で、格差が生まれるのはこの世の原理だとわかります。

特に人気商売はその格差がはっきりとでてしまい、ピラミッドの下にしか位置できない人達は厳しい現実を見せつけられます。

人気商売において、容姿の美しさは大きなアドバンテージになりますが、これも自分では選べないものですよね。

自分ではどうすることもできない要素が原因で格差が生まれる。非情ではありますが、これが世の真実であり、原理だと言えます。

そしてこの原理は400年以上前からかわらず存在し続けるのだと思い知りました。よほど大きなパラダイムシフトが起きなければ、きっとこれからも変わることはないでしょう。

まとめ

遊廓は人権侵害・女性虐待にほかならず、現在では許されない、二度とこの世に出現してはならない制度です。本展に吉原の制度を容認する意図はありません。広報の表現で配慮が足りず、さまざまな意見を頂きました。

主催者として、それを重く受け止め、広報の在り方を見直しました。 展覧会は予定通り、美術作品を通じて、江戸時代の吉原を再考する機会として開催します。

『大吉原展』ホームページより引用

ホームページの冒頭にこのような記述がある通り、吉原遊郭で行われていたことは明らかに人権侵害が含まれます。

なぜなら、遊女たちのほとんどが親の借金の肩代わりとして人身売買により吉原にきたからです。

この時代は農家、商人、武家であっても貧困から娘を遊女として売り渡す、いわゆる人身売買が存在しました。

親は借金の代わりに娘を売り、売られた娘は遊女として10年間借金と利子を返し続ける……。

今では考えられないですが、そんなことが当たり前に行われていた時代が存在するのです。

中には10歳に満たない年齢で遊郭にはうる少女もいました。

少女たちは「禿(かむろ)」と呼ばれ、遊女の身の回りの世話を手伝いながら遊女になるための修行をつみ、13~16歳で遊女としてデビューします。

13歳で客をとる……この早すぎるデビューにも胸が痛みます。

親の借金は彼女たちの肩にのしかかり、借金と利子を払い終わるまで、彼女たちは吉原から離れられませんでした。

この借金に縛られている期間は「年季(ねんき)」と呼ばれ、吉原では「年季10年、27歳まで」というのが原則とのこと。

この縛りが取れることを「年季が明ける」といい、27歳で年季が明ければ、本来なら晴れて自由の身となるはずでした。

ただ、現実はそう甘くなく、年季が明けても借金が残り、そのまま吉原で働き続ける遊女もいました。

切見世のかなには50歳を過ぎた遊女もいたと書きましたが、たしかに、10代から遊郭に入りそこでの教育しか受けていなければ、50歳になって他にできることなどないでしょう。

実際、明治になり芸娼妓解放令(げいしょうぎかいほうれい:人身売買であることが外国から指摘され、政府が出した遊女の解放令)が出され、3000人以上の遊女が解放されましたが、その後も遊女をやり続ける女性はいたそうです。

いきなり解放されても、他に生計を立てる術なんてなかったのでしょう。そうなると今度は「強制」ではなく「自らの意思で」売春をやっていることになり、女性達は社会の片隅に追いやられていくことになったそうです……。

……

現代にも通ずる不変の真理はあれど、1つ大きく違うのは、現在においては自分の人生は自分の手で切り拓けること。

現代にも生まれた環境で苦しむ人もいますが、少なくとも私はそう信じたいですし、そう信じて、自らの手で欲しいものは手に入れていくように生きようと思いました。

壮大なテーマゆえ、まとめきれないですが、今回はこれで終わります。
読んでいただきありがとうございました。




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