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願わくば、この道の先に

 前にも書いているけれど、どうやら自分は同性に惹かれるな、と、物心ついた頃には自覚があった。明らかに、友達のそれとは違う、好き。ただ少しでも長く側にいたい、その気持ちを鮮明に覚えている。

今では、同性というより、もっと広く、その人やその人の知性に惹かれるという自覚がある。で、稀に、性的にも惹かれる相手がいるようだ。そんなわけで、

パンセクシャル(全性愛とも。性別がなんであれ、「その人」が好きな感覚)

デミセクシャル(とても親密になった相手にだけ、稀に性的な欲が発生する)

サピオロマンティック(なんとも形容しがたいけれど、相手の知性や言動に惚れるという感覚)

を自認中。

でもそう考えるに至ったのは、この1年ほどの話。それまではプラトニックなビアンだと思っていた。なんというか「女性を女性として好き」になる感覚。でも、そこには性的な意味はなく、かといって友達より更に親密になりたいと思う経験があった。

そこで、ものすごく勇気を出して、都会のビアンバーに行ってみたことがある。戸籍上の女性しか入れないバー。夜の町は怖いし、お酒も強いわけじゃない。それでも、そのお店は、噂によく聞く「二丁目」とは違う場所にあるというだけで、なんだか行きやすかったのだ。雑居ビルの片隅に、ひっそりと灯る明かり。緊張しながら、ドアをくぐったことを覚えている。

とはいえ、結局、そう簡単に恋のチャンスや出会いなんて転がってるはずもなく。

でも、他のお客さんや店員さんと話して、楽しかった。付き添ってくれた友人もなんだか楽しそうでホッとした…。終電逃して、東京から熱海までしか帰れなくなって、友人に頼み込んで家に泊めさせてもらった…。

その後、何年か経って、ネットで出会いがあった。そして、まあ…失恋した。失恋直後に、下のリンク先の、ビアンの失恋立ち直り講座、というページを読んで、自分にはとても無理だと思った。立ち直るなんて無理だと思った。

でも、今では、ここで何度も文章を書いて、折り合いをつけようとしている。

そして今、このページを改めて読み返すと、失恋したからといって先に進まなきゃいけない、わけじゃない、とある。

そう、そうなのだ。一生心の中で好きでい続けるのも、本人の自由なのだ。次々に相手を変えることができる人もいるのかもしれないけれど、自分はそうではなさそう。たぶん、ずっと心に、記憶に、残り続ける。なんなら、少し間を空けてでも、なんとか恋愛とは関係ない関係性になれたら、と願ってることも、自分の自由。(こればっかりは相手のあることだから、1人では如何ともし難いけど。)

顔の見えないSNSも手伝ってか、好きになる性別にこだわりがないのが、加速してる気がする。

むしろ、好きな相手には男性として見られたい、女性として見られたい、と思う人の対象からは、外れてしまったかもしれない(汗)

パンセクシャル(全性愛)ってつまり性別自体がなくなって欲しいの?と聞かれたとしたら、違うと答える。ただ、好きになる時に相手の性別が意味を持たない感覚。その人らしいに惹かれる、としか説明のしようのない感覚。朝起きたら相手の性が変わっていても、中身が一緒ならすんなり受け入れそうな気がする。

《普通》は、相手を異性や同性として好きになるんだろうけど。一昔前なら、こんなこと書いたら、あんたどっちの人とでも○○の?!とか…。尻が軽いとか、言われてたんだろうけど。

(そういえば、なんで好きになる性別が普通と違うってだけで、相手が誰でもいいってことになっちゃうんだ…とずっと不思議だった。オレを襲うなよ系の冗談を、実際に聞いたことはなくても、見聞きするのは、一体なんでなんだ。別に異性愛者と一緒だから…誰でもいいわけじゃないから…)

今はもう、YouTube探せば当事者の動画いっぱい出てくる世の中だから、ある程度、安心していられる。(もちろん、今でも1人で抱え込んでる人もいるし、普通と違う自分を認めたくない人もいるだろうけど)

どんな名で呼ぶにせよ、自分の好きは普通という言葉では括れないだろう、という感覚は、ずっと感じていたし、これからも感じ続けると思う。

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