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境界とか折り合いとか

『私たちは社会的な存在なので、(略)「周りを見ながら自分を規定する」分、「自分と他人の区別がつかなくなる・境界線が曖昧になる」という現象も起こりやすい』

まさに今の自分の課題…。

好きだけど、うまくいかなかった。「友達でもいいから」と言ったのに、それを保つための、自分の努力が足りなかったと思う。

自分のことしか考えてなかった。「好き」を押しつけられるだけ押しつけていた、だけだった。不平等だったのだ。『境界線が曖昧になる』とはまさにこのこと。不用意に、急に近づきすぎたのだ。

それにしても、こんな好きになるなんて。自分でも「これ」を「好き」としか表しようがないし、理屈じゃない。好きな気持ちは仕方がない。内面は自由だ。その通り。だからこそ、これからも…と思っていた。

そう思っていながら、その為に何が必要なのかを、分かっていなかった。

自分の中にあったのは、見えている部分・話してくれた部分の姿だけだったのに。もしかしたら、すき間は、自分に都合のよいように埋めていたのかもしれない。

相手も好きでいてくれていることに甘えていた。世間一般の普通でなくても、相手にとっての特別であることに、変わりはないって。簡単には言い表せない関係性でも、それの価値は自分たちの間で共有できている、分かり合っていると。

もっと受け止めてくれると思ってた。

もっと心開いてくれてると思ってた。

伝えてないことがまだたくさんあるんだよ、と言われる度に不安になって、でもこれから少しずつ知っていけばいい、と軽く考えていた。そういうことじゃなかった。自分は、相手にもっと合わせなきゃいけなかった。それは別に我慢するってことではなく。

相手と一緒にいたいなら、一緒にいられるような努力をしなくちゃいけない。相手を知ろうとしなくちゃいけない。相手が言わないなら、言えるその時まで待つとか。こちらから踏み込んでみるとか。相手が楽しく安心して穏やかに過ごせる居場所を提供しなくてはいけなかった。一緒にいたいなら。

「自分が楽しければ相手も楽しんでる」だなんて、思っていたつもりは…なかったのだけれど…。でもきっと、その言葉が痛いということは、「そう」だったのだろう。

とにかく、もっと対面で話せていたら。もっと言葉を尽くしていたら。毎回、全力でやりとりしていた「つもり」はもうおしまい。自分と相手の双方が居心地よく過ごせる居場所を作っていく努力、そのために自分に必要な改善点。押しすぎたのなら、引いてみる。また、楽しい時間を共有したいと思ってもらえる為に、今の私ができるのは………。

さあ、準備期間の始まりだ。またいつか、のその先へ。

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