愛するという技術を学ぶ

エーリッヒフロム著 『愛するということ』鈴木 晶 訳(2020年新訳版)

第2章まで読んだところで感想をまとめずにはいられなかったので、ここに記す。

どのページのどの文章も、自分の実感や体感と合致している部分がある。

(同性愛を「逸脱」や「合一の失敗」と見なすのだけはいただけないが、1956年の書籍であり、2020年に生誕120周年の人物が書いた文章という事情を鑑みると、目をつぶるしかない)

愛とは、本能的なものであり、愛は学ぶべきものではないとは、一般的に共有されている認識(常識)であろう。けれども、それに対して「愛は技術である」と、冒頭で言い切ってしまうとは…。この人は、なんと先進的な考え方の人だ、と感心してしまった。いや、先進的というのは語弊があるかもしれない。ただ単に、常識に囚われない人だ、と言うべきかもしれない。いやでもしかし…これからの時代、この「能動的な愛する」態度こそ、必要とされるのではないだろうか…。

人間は、自然の一部だけれども、自然から離れて理性を持ってしまった。そして自然から離れていっていると思う。もちろん、完全に離れることはできないけれど。少なくとも、生殖という原初的で本能的なものと離れたところにいたいという欲は、現代において、確実に増していると思う。

例えば、このような「誰かの何気ないつぶやき」が多くの人の賛同を得ている(RTやいいねが多い)ことから、私はそう思っている。

 https://twitter.com/misetemiso/status/1444577279795814400?t=G29Mv0R6mKZRVD8a7hVkEg&s=09

以上のことから私は、この本に書かれている事柄は、これから必要とされる考え方であろうと考える。

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また個人的に、第2章のこの部分が、非常に印象的だった。少し長いが引用すると…

「神経症になる原因のひとつは、その人の母親が愛情はあるが、甘すぎたり、支配的だったりして、父親が弱く、子供に無関心なことである。(略)母親に依存したままで、無力感をもちつづけ、いつでも何かをもらいたい(略)受動的な人間に特徴的な願望を抱き」

まさに昨日読んだこの記事の内容と同じ話であり、個人的課題への、鋭い指摘だと思った…。  https://president.jp/articles/-/48533

社会(仕事)への復帰ということを考えると、これを読んだからといって、今すぐにどうこうしている場合ではない。けれども、いつかは親離れしなくてはいけないし、そうしないといつまでも自信を持てない人間のまま生きることになってしまう…。それはできれば避けたい…。昨年、ほとんど衝動的に住居を分けようと動き出したのは、やはり起こるべくして起こったことなのだな…。(そんな小難しいこと言わなくてもさ、普通は、もっと早くに独立してる人も大勢いるんだよな~苦笑)

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受動的欲求への抗い難い感情(愛されたい、普通になりたい、常識に流されたいというようなもの)も、能動的欲求(愛されるより愛したいし、理解したい、知りたいという欲求)も、どちらもある、ごく普通の1人の人間からすると、まだまだ愛するということを学び足りないので、この本を、もうしばらく読み進めることにする。


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