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結局今日も眠気は枕元に留まってはくれなかった

単刀直入に言おう。好きな人がいます。

好きな人には現状、恋人がいますが、1度だけ私が恋人に「昇格」したこともある。

でも「恋人というのは合わないと思う」と1日で振られて数ヶ月。そう書くとずいぶんとひどい人のようだけど、何も一方的にそうなったわけではない。そこに至るまでの事情や話の流れもあったし、何より相手は事実を言ったまでだと、今は思う。

例えば、いろいろな価値観。恋人という存在に求めるものとか、ね。それに、とにかく連絡ペースが合わない。ゆっくり長文を返す相手に対して、私は衝動的に送りすぎる。もう1つ、むこうは内向的だけど、こちらはむこうに比べればかなり外向的。

そういうことに私は気がつかず、違和感は相手だけが内に溜め込んでいたのだ、と感じる。私も、なんとなくの違和感には気がついたものの、それが何かまでは掴めていなかった。ちょっとした言い合い、すれ違い程度に思っていたので、些細なはずの話が恋人になれないというに至って、何がなんだか訳が分からず動揺してしまった。

全く気がつく機会がなかったかと言えば、そうでもないはずなのだが、なにせ出会いからしてお互いに、長文でのやりとりだった。おまけにすぐに話が弾み出して、比較的頻繁にやりとりしていた。こちらはそういう認識でいたものだから、それが今は相手の負担になっているかも、なんて思いもしなかった。

相手が、「自分のことなんか忘れて、もっと良い人がいる」と言う度に、こちらから連絡を取らなければ、相手は連絡を取るのを止めてしまうかもしれない、という焦りもあった。

それに加え、単純にやりとりが楽しくて、その人の文章を読むのが好きで、好きな作家の新作を待ちわびる読者のような気分でもあったように思う。

今は好きな人というより、大切な人、という感じだ。好きの押しつけは良くないからね。私にたくさんの知識と経験と幸せをくれた、「大切な人」。

別に恋人という名前であってもなくても死ぬまで一緒に生きていたい。時々でもいいから。ただそれだけ。そんな気持ちになる出会いが、これから2度も3度もあるものだろうか?

できれば、心の中ではなくて、リアルで。時々でもいいから連絡を続けたい、仲を続けたいと願ってしまう…。そのためにも今は我慢、我慢…。好きならば耐えられるはず。耐えられるはずだぞ、自分!今はこれ以上、押すなよ押すなよ、失うぞ…。

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