武器を持たないランボーたち

ニンテンドーダイレクトやポケモンプレゼンツがある度にXのトレンドに上がる「ダイパリメイク」「エアライド」
この単語で盛り上がってる人はもうベトナム戦争は終わったのに心の拠り所だから固執し続けるランボーのような状態である意味可哀想と思った。
ランボーになってるオタクはぶっちゃけどこの分野にもいる。
もう似たようなコンテンツの対立は解消したんだ、もうそのゲームのプロデューサーは会社をやめたから続編は作られないんだ、作者はもうその作品を執筆する気はないor書けない状態なのに一抹の希望を抱き年々主張ばかりが大きくなっていく。希望を捨てたら自分のアイデンティティそのものが崩壊してしまう。
銃もナイフも持ってないランボーと化した古のオタク達。
コンテンツに執着しすぎて時代の変化に適応できなかった実に哀れな人々。

シンエヴァとガンダムSEEDの映画はそんな可哀想なランボー達の心を治す為に公式がとった荒療治かもしれない。
「怨念になってたけど成仏できた」と安堵する感想が多い。
強烈で楽しかった事を思い出の中でそっとさせておくのは本当はよくないのかも。

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