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ためになろうとしないでよ

ためにならない文章が読みたいし書きたい。これが私のエッセイを書く原動力である。私が読みたいと思えるようなものを私はいつも書いている。実力不足は否めないがスタンスは一貫している。

そういうわけで私はためにならない素朴な文章を常に欲しているのだがウェブ上でそのような文章を見つけるのがめちゃくちゃ難しい。
悪口じゃないんだけどnoteだと特に難しい。noteが私へどうぞ!とピックアップしてくれる記事はだいたい何かためになることが主題になっている記事ばかりだからである。

資格を取るための勉強法、出世のためのビジネス術、ストレスを溜め込まないためのマインドフルネス。

ためになるというのは大事なことだ。勉強になる物を読めばその分自分の糧になる。必要なことだ、大事なことだ。人生大勉強時代、ためにならないものはコスパもタイパも悪いから無駄無駄。

はー、疲れてしまった。ためになることを身につけるだけ読んだのかと言われると首肯することはできないが、とにかく私はためになることを摂取するのに疲れてしまっているのだ。これを食事に例えるなら、うーんそうだなあ、精をつけなさいということで毎日牛肉のステーキをレアで食べさせられて胃もたれしてるような感じだろうか。
いや、この例えはあまりうまくないな。ためになる文章を「元気なお年寄りが毎日食べているステーキ」と捉えるか「健康志向の女性会社員がヨーグルトと一緒に食べるオートミール」と捉えるかで変わってくるんだろうけどここは一旦ステーキとさせてもらいたい。
閑話休題。
こういう例えをうまいこと出すためにもためになるものは読み続けなくてはいけないんだろう。でも私は本当に疲れてしまった。

しかしためにならないことは基本的に儲からない。儲からないのにわざわざ時間を割いてどうでもいいことを書き溜めるほど暇な人なんて滅多にいない。
さらにためになることで儲けようとするにはよっぽど表現が新しかったり群を抜いて質が良かったりしないといけない。そのような要件を満たしていてもそれで食べていけるようになるのはさらに運がいい一握りだろう。

いや違う、儲かるってのはそれもある意味ためになることだ。そうじゃないんです、ためにならない儲からない文章が読みたい。
出来事がない日常。意味のない考え事。笑えないダジャレ。
そういう決して直接何かの役に立つとは言い難いような素朴な話題を取り扱った文章をお腹いっぱい読みたい。
そして繰り返しになるがこれが本当に難しい。

私も私が読みたいと思ってこんなためにならない文章をたらたらタラタラ駄菓子のように書いているわけなのだが、それでも毎日更新しているとついつい何か誰かのためになろうだとか自分の失敗を後世に伝えて未来の困った人を減らそうだとか、いらないお節介心を働かせようとしてしまう。ためにならないことをやろうとするのはそれはそれで本当に難しい。せめて役に立つ匂いだけでも消しておきたいけどわかるひとにはわかってしまうだろう。

ためにならないことを綴っていきたい。でも1日の大半をそのことに捧げようとするなら食い扶持にならないと困る。食い扶持になるには儲からないといけない。でも儲かるってことは多かれ少なかれ誰かの役に立ってるってことで以下無限ループ。このバランスの難しさよ。

そういうわけで私はいつもシンプルで素朴な、一見何の役に立つの?という内容の文章をいつでも探している。ウェブ上にあって気軽に読める媒体なら尚のこと大歓迎だ。
みなさんも全ての表現を奏してほしいとまではいわないが、30、いや50本に1本ぐらいでいいので誰の役にも立たなそうな文章をぜひしたためてみてほしい。あー、でもそれは私の役に立ってはしまうので全く役に立たないわけではなくて……。

なんかよくわかんないけど今ちょっとラッキーで思ったより出費が浮いたんだ〜っていうあなた!よかったらサポートしてみない?