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薔薇は生きてる、我が試練よ

日々飲んでいる薬の副作用、今月は嘘みたいに調子がよかった。先月新しい薬に変えてみたらまあひどい目にあったのだけれど(詳しい話はこちらで)、身体が新たな薬にしっかり適応したらしい。ストックが尽きそうになったので、ひと月ぶりに婦人科へ向かう。

先月は大変な思いをしたものの、あの一回きりで学習できる私の身体はとてつもなく優秀だ。そもそも飲みはじめた頃もすんなり馴染んでいった覚えがある。聞き分けのいい身体で助かる。

2年ほど低用量ピル生活を続けているけれど、おかげで私のPMS(主にメンタルの急降下)はずいぶんよくなった。その上薬で生理周期を管理できるので、いつ血が出るのかとやきもきする期間もなくなり、年々ひどくなっていた生理痛も軽減されていいことづくめだ。普通に生理が来ていたあの頃には、当分戻りたくない。


待合室で本を開く。山川彌千枝、『薔薇は生きてる』。Hanonさんの記事で一目惚れして、勢いのまま図書館で借りてきた本だ。昭和初期、16歳にして肺結核で亡くなった少女の書き遺したものたち。

おこしてよ。おこしてよ。
私の病気なおしてよ。
早くしないと春が来ちゃうじゃないの。
桜が咲いて、楽しい頃までに早くなおしてよ。本当に私は待ちくたびれた。
早くなおさなくちゃあ、花瓶をわるぞ。早くなおしてよ。
気がせくせく、おきたいおきたい、いくら寝たとてなおるかどうか。早く起こせばなおるかもしれぬ。早くおこしてよ。

無題(十三) P122

出来ない事を願ったとてどうなろう。私は病人だ。しかし、もっともよい病人になるつもりだ。よい病人になれない人は、よい健康者にもなれまい。

日記 一九八二年八月十九日 P187

私、修道院にはいる人の気持、分らないわ。世の中に生れて来たんだもの、世の中にいるのが当り前だ。汚ない世の中、汚れた世の中って言うけど、神様のいるってこと、信じてる人が、神様の作った人間の住んで居るところが、そんなによごれてると思うの、変だわ。

手紙 佐々木文枝さんへ P221

そのいじらしいほどの素直さが、こちらもはっとするような言葉の鋭さが、何気なくありふれていながらも人の胸を突く。けれど文学とは、本来ありふれたものだとも思う。だからこそいい。

かといって決してお涙頂戴ではないのだ。彼女の言葉から溢れる生命力は、病人の気の毒さなど微塵も感じさせない。彼女はこの時代に、この世で精一杯生きていた人なのだ、いや、今も確かにここで生きている、ということがびしばしと伝わってくる。ばらは生きてる。


赤ちゃんの声がする。お腹の大きい女の人がいる。それから若い男女二人組。婦人科に行くと、いつもなんとなく肩身が狭い。私はただ楽に生きるためにここへ通っているけれど、他の女性たちは私なんかよりも、もっと高い人生のハードルを飛び越えようとしているのだろう。

人生のハードル。越えなければならないもの。きっとそれは私にも訪れるのだろう、そしてそれは時に自ら自分のために用意すべきものなのだろう、ということもだんだんわかってきた。

人間一人ひとりが背負う苦労は大方平等に割り振られていると思っていて、だけど今のところ私が経験したのはその10分の1にも満たないかもしれない。それが後ろめたいというか、それこそ本当の試練が待ち受けていたときに挫けてしまいそうで、私自身の無知が恐ろしい。だから私の選択はある程度定まっているのだ。私が私のために課する試練。

滞りなく問診を終え、薬を3ヶ月分出してもらう。次のストックがまた底をつくとき、私の現実は、覚悟は、少しでも歩みを進めているだろうか。


でも、ちょっと胸の病いなんて詩的ね、胸を病む少女なんてステキだわ。ステキだけど、本当の事言うと、ステキどころじゃありゃしない。悲しい苦しい事だわ。けれど、幸福はどこにだって、そうあるもんじゃないわ。

日記 一九八二年八月五日 P185

最後に一目惚れ記事、勝手に引用させていただきます。

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