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本を捲るたび、巡る旅

秋。外からの刺激。それも波の低い刺激が楽しくて嬉しい、そんな季節。

秋がいっぺんに押し寄せてきたからだろうか。朝起きると涼しいどころか寒いほどで、仕事中はやたらと眠たくて、そして、それから、とにかく本に触れたくて、出会いたくてたまらない。

そのせいか、9月に読んだ本は10冊に及んだ。家どころか仕事の合間にも本を読み漁ったからだろう。ここ最近はいろんな作家を読んでみるようにしていて、おかげで自分の中の合う、合わないの基準も見えてきた。読みたい文章がわかると、書きたい文章も自ずと浮かび上がってくる。それが今は、素直に面白い。

インスタで感想投稿します……そのうち。

そして自分で本を作ってからは特に、プロアマ問わず本、という媒体に強く惹かれている。近くの古本屋に通ったり、古本市や選書市などのイベントを訪れてみたり、近頃は本に吸い寄せられがちだ。

ネットで文章を公開しだして2年半が経つけれど、文章とのネット上での出会い方と、本という形を通した出会い方は同じようでいて、けっこう違うことがわかってきた。

ネットは不特定多数に見せかけて、案外限られた範囲の人にしか出会えない。それに対して本は、形があるからこそ、無関係の通りすがりの人にも目を留めてもらえることがある。手から手へ、売る人から読む人へと文章が渡されていく光景は、素敵だなと思う。

さらに本と一口に言っても、本屋や古本市、文フリでも出会い方は少しずつ違うのだろう。まだ自分で出店したわけではないからわからないけれど、本屋や文フリははじめから本に興味のある人がやってくるのに対し、街中で開催される古本市は本に興味がない人でもふらっと立ち寄れる、そんなイメージがある。ここ最近、いろんなイベントを眺めて感じたことだ。

考えてみると、今まで「本や文章に興味がない」という人たちの目に留まる機会については考えたことがなかった。でも、そういう人たちにもふとした瞬間に関心を持ってもらえたり、たとえば一瞬本を手に取ってもらえたりする機会を手に入れるだけで、活動の幅は大きく広がるような気がする。その可能性を広げていくのはやっぱり、本の力だと思う。


noteで書くことに限界を感じたというわけではないけれど今はそれに近くて、私はもっと外に目を向けたくなっている。読むのも書くのも、楽しめる場所が他にもあるような気がする。もしあるのだとしたら、単純に知りたいのだ。そうして旅を続けてよりよい住処を見つけることができたら、もっと素晴らしいことだと思う。

まずはひとつ、とあるアンソロジー向けの小説を書いてみている。今夜締切なので果たして間に合うのか、それにこんなもの面白いのか……!?と葛藤しまくっているけれど、それも含めて物語を作るのは楽しい。新たな出会いと機会のために、私も何かできないだろうかと模索する日々だ。


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