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願いの音とともに、10年の時を想う。

そこに広がるのは、やさしい願いの音。

演奏しながら泣いたことなんて、今までに一度としてなかった。吹き込む息が震えて、だけど音は出さなきゃいけなくて、ぐちゃぐちゃになる感情。奏者は常に冷静でいなければならないというのに、明らかにいつもと違う周りの空気に制御ができなくなってしまった。

こんな本番は初めてだ。奏者ながらに大きく心を揺さぶられた先日の演奏会について、もうひとつだけ語りたいことがある。2021年という年の最後だからこそ、書いておきたいことだ。


演奏会のアンコールで披露したのは、『花は咲く』。東日本大震災から10年が経ち、さらにこうして未曾有の事態に陥っているこの年に、今一度あの日を振り返ろうということで演奏することにした曲だ。

この曲の指揮者は、宮城県の某被災地出身。
本番前、彼はみんなの前に立ち、この曲に込めた思いについて語ってくれた。

「宮城って海の幸がおいしくて、人柄もあったかくて、地元ながら本当に大好きな場所なんです。
震災の被災地って聞くと悲しくて辛いイメージがあると思うんですけど、僕はもっと前向きな『花は咲く』をやりたいんですよ」

彼の言葉は、しんとした響きで胸に染みていく。ああ、この人たちは今、しっかりと歩みを進めているんだ。きっと、私たちが思っている以上に。

彼の出身地を聞くと、どうしてもあの日テレビで見た凄惨な映像を連想してしまう。具体的なエピソードは口にしなかったけれど、彼があの日あの場所でどんな思いを抱いていたのか、私には想像すらできない。できるわけがない。だって経験していないんだから。

けれど優しいまなざしで語られる彼の故郷の話はあたたかくて、美しくて、懐かしかった。たとえどんな姿に変わってしまおうと、彼の故郷は彼の故郷のままなのだ。そのことを彼は知っている。だからこそ、愛のある『花は咲く』を演奏したいと願っている。

彼のために、宮城のために、そしてこの世界に生きるみんなのためにこの曲を吹こう。やわらかで清らかなこの曲の音色がホールに響き渡る瞬間を想像して、少しだけ涙が滲んだ。


そして本番。曲の流れが山場を迎え、少し感情が揺らぎそうになる。そこでふと指揮を振る彼に目を向けた瞬間、涙が溢れてしまった。彼はみんなの真ん中で、静かに泣いていた。

肝心なことに限って多くを語らない彼の胸の中には、きっと様々な思いが渦巻いていたのだろう。涙がそんな彼の気持ちを代弁してくれているようで、なんだか嬉しくて、切なかった。

周りのみんなも同じだったようで、演奏が徐々にしっとりと膨らんでいくのがわかる。その感覚すら心地よかった。私たちはこうして音楽でつながっているのだと実感できた。巡りめぐる音の中で、感情はぐるぐると輪を描き、願いとともに空間に解き放たれる。全てを語ってくれるのは、音楽だった。


この10年間で、復興というワードを耳にする機会が増え、そして減っていったように感じる。だからといって完全に復興したわけではないし、きっと完璧な復興が叶うときは来ないのだろう。失ったものは戻らない。それでも人は前に進むしかないし、時に立ち止まっては過去に思いを馳せることだってある。

10年という月日はあっという間のようでいて、実はあらゆるものを過去に置いてけぼりにできてしまうほどの長い時の流れだ。人は忘れてしまう。こうして何度も立ち止まっていたとしても、あの情景は、あの感情は二度と戻ってこない。

10年後、私たちは10年前をどんな表情で振り返るのだろう。思い出したくもないと目を背けるのだろうか。あれはあれでよかったと綺麗事にするのだろうか。何はともあれ、今を安心して振り返ることができる未来がそこにあればいい。あってほしいと思う。

10年分の想いを乗せて奏でたあの日の『花は咲く』。私はきっと、忘れることはないだろう。


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今年はこの記事で締めくくろうと思います。
皆様、良いお年をお迎えくださいませ。


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