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本が読めなかったあの頃

心に余裕がないと、本が読めない気がする。

幼い頃から人並みに本が好きな子どもではあった。物心つく前から絵本を読んでもらっていたし、小学校の図書室では毎日のように本を借りては読んでいたし、友達と児童書の人気シリーズを貸し借りしていたこともある。

けれど一時期、私は本当に全く本を読んでいなかった。というか、読めなかった。

高校時代、ひたすら勉強と課題と部活に追われていた。朝早く起きて、電車に乗って、小テストの勉強をして、学校で授業を受けたら夕方まで部活、そして帰り道は翌日の小テストの勉強。家に帰れば課題が常に待ち受けていて、そうこうしているうちに夜が来てまた朝が来る。毎日そんな生活だった。

中学まではやるべきことをこなした上で趣味の時間も作れたけれど、高校だとそうはいかなかった。周りについていくので精一杯、自分は大してできる子じゃなかったという現実に日々追い回される。学校生活は楽しかったけれど、自分一人の時間というものを作る余裕がなかった。

そんな時期に、私はTwitterを始めた。今言いたいことを気軽に発信できて、みんなの気持ちや近況もすぐに覗くことができる。ほとんど文字だけの媒体、というのも作用したのかもしれない、いつしか私は本ではなく、Twitterの文字を追うことで満足するようになっていった。

SNSは、ちょっとした空き時間にあまりにも都合が良すぎた。無限に広がる情報の海に飲み込まれて、私はおそらく完全に中毒になっていた。目まぐるしい日々の中、私は活字欲をSNSで満たすことしかできなかった。


今までずっとずっと、余裕のない生活を送ってきたのかもしれない。自分のために生きようと決めたあの日から、ようやく本を読みたいという気持ちがむくむくと湧いてきて。SNSから離れて読書に時間を使えるようになったとき、自分が自分を取り戻しつつあるような、そんな気がした。

それでもかつてのように余裕がなくなったり気分が落ち込んだりすると、やっぱり文字が追えなくなる。自分のことで精一杯になるんだから、そりゃあ別の世界の物語や他人の感情を内に取り込むことなんてできやしないよな。今ならわかる。

これからも忙しい日々は続いていく。きっとまた苦しくなったり落ちたり凹んだり、感情の起伏に悩まされる日もやってくるだろう。そんなとき、文字を追えるかどうかを心のバロメーターのひとつとして見ていけたら。


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