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温度差を楽しみたいの

「こんにちは、まうです。」から始まる文、いきなり敬体から始まる文、常体から始まる文、それから小説の一文目。

私はnoteでいろいろな書き方をします。毎日毎日全く違うテンションで書くこともしばしば。

この使い分けの基準は、まあなんとなくでしかないのですが。

敬体の文は、基本的に読んでくださる方に向けて発信しているようなイメージ。特に「こんにちは、まうです。」はフォロワーさんに向けていることが多いです。

常体の文は、私の頭の中をそのまま写しとっているようなイメージで書いています。浮かんできた生の言葉をそのまま文字に起こすような。私のありのままは、どちらかというと常体の文で表れがちです。

困ったことに、表現したい私がたくさんいるのです。いろんな温度で、いろんな私を出していきたい。だって私にはいろんな顔があるから。変温動物なんです、私。

いつも一定の温度で、いつも変わらないひとときを届けてくれるnoterさんもたくさんいらっしゃいます。恒温動物の皆さんは素直にすごいなあ、と思います。自分のスタイルを確立できているの、かっこいい。

でも、やっぱり私にはそれができない、と書いていて思うのです。
書くその時々によって、私の書きたい文章の温度は変わってきます。下書きの段階では常体だったのに、別の日に途中から書きはじめると敬体になっていた、なんてことも。

優しい気分の日もあれば、やさぐれた気分の日もあります。その日の私の温度が、noteのそれぞれの記事に表れているなと思います。

だから、そのうち出そうと思って書き上げておいた記事を別の日に読み返してみると、あれっなんか違和感あるなと思うこともあります。その記事を書いた日の私の温度と、それを世に出そうとした日の私の温度は違うのです。


気まぐれで落ち着かないnoteを書く私ですが、このスタイルをやめようと思ったことはありません。一定の温度が何日か続く日はありますが。

私はあえて、この温度差を楽しんでいたいのです。たぶん読者の方からしてみたら、私のこの温度は好きだけどこっちは好きじゃない、そういうのがあると思うんです。私のある温度の記事にだけスキをくれる人もいます。あなたの好きな私を出せていない日は、ごめんなさいと思ってしまうけれど。

そんな理由があって、私のクリエイターページには「なんでも許せる方向けnote」と書いています。温度差ジェットコースター変温動物な私についてこれる人だけでいいよ、ということです。身勝手なのはわかっていますが、私の記事を読む読まないは私が決めることではないし、あなたの自由です。でも、ある一定の温度を好む方には私の日々の記事が邪魔になってしまうこともあると思うので。

おそらく離れていく人たちは、私の温度差に耐えかねてしまったのかなと勝手に思っています。だとしたら申し訳ないけれど、まあなんでも許せる方向けだしな、と開き直ってるところもあります。なんでも許せる方向けnote。それが私のnoteにおける主義、なんだと思います。


固定記事を外しましたって昨日書いたばかりだけど、しばらくはこれを固定にしようかな。自己紹介記事もそろそろ新しく書きなおしたいです。

今日は私なりのnoteの書き方のお話でした。今まで私の温度差についてきてくださった方、いつもありがとうございます。そしてあんたの温度差とやらに振り回されたるわい!という方、これからよろしくお願いします。

それではまたお会いしましょう!



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