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そしてまた、1年が続いてゆくのだ

あとがきを書き終えたとき、ふう、と息が漏れた。ソファーに全身でもたれかかり、書き上げた原稿を眺める。それはやりきった達成感でもあり、そうか、1冊を終えてもこれからも日々は続いていくのだと、至極当たり前のことを改めて再確認したため息でもあった。

2月25日の文学フリマ広島で、私は社会人1年目とふたり暮らし1年目をテーマにしたエッセイ集(文庫本)を新刊として販売する。

とはいえ入稿はギリギリを極めていたので、完成したのは今月の初め。できるだけ手に取りやすい価格を目指したかったから、早めに入稿するための作業に必死だった。(おかげさまで400円に収まりました)

まえがきとあとがきを書くのは、今回のエッセイ集が初めての試みだった。第1弾は良くも悪くも加筆修正に手をかけすぎたから、エッセイ集全体というよりは個々のエッセイの完成度の高さに重点を置いていた。それはそれで満足のいく作品にはなったものの、他の方々が出版されたエッセイ集を読んでいたら、もっとこうしたかったな、という今更の欲が首をもたげてきたのも正直なところだ。

幸い、ここ1年noteに掲載してきたエッセイもどきたちは“皐月まうのエッセイ”としてのスタイルがある程度確立されていた。それをいいことに、第2弾はエッセイ集らしいエッセイ集を作ることに集中できそうな気がした。憧れ(?)のまえがきとあとがきを含む、5つの書き下ろしたち。これらを掲載済みの文章と合わせて初めて1冊が成り立つ、そんなエッセイ集を作ろうと思った。


仕事の合間に、帰宅途中の信号待ちに、眠る前の1時間に書き下ろしを書くのは、ものすごく楽しかった。だって、この文章は私の本を買ってくれた人だけが読んでくれる、ということがすでに決まっている。しかも本さえ開いてもらえれば確実に、だ。

普段はどう書けば読んでもらえるのだろう、どうすれば見つけてもらえるのだろうと、贅沢な悩みを抱えながらnoteを書いている。第一じゃなくとも、第二第三くらいの割合で脳内を占めているのは「読んでもらえるかどうか」だ。公開の場に出している以上、仕方のないことだと今は割り切っている。

そういう余計な自己顕示欲と、私は毎週見苦しく闘っている。さすがに少々うんざりもしている。3年も続けるともはやどうでもいい域にまで達するけれど、うんざりするものはするものだ。
何が言いたいかというと、そんなうんざりから完全に解放された書き下ろしたちは何も飾らず気取らず、なのに抱きしめたくなるくらい愛おしくてならないのだ。


はじめて尽くしの1年間をこれまでnoteに書き残してきたわけだけれど、書き下ろしを書きながらようやく、私の1年が完成していく、と思った。

それと同時に、1年が過ぎるということはまた次の1年が巡ってくるのだという、わかりきっているはずのことがすとん、と心に落ちてきた。思い返せば、「1年」という一区切りについて私はこんなにもきちんと、実感を持って考えたことがなかったかもしれない。

だから、そう、今のところは完全なる自己満足なのだけれど、やはりいいものができたなあ、作ってよかったなあというしんみりとした感動に満たされている。そして私はまた、次の1年に向けて新たな一歩を踏み出せるだろう。確信を持って言える。

次は何を作ろうかなあ、なんていう早まったわくわくを抱えながら。とっても楽しみです、文フリ。ついに今週末、よろしくお願いします。


恋愛短編集の書き下ろしには1年かかりました……かかりすぎだろ。
既刊の2冊も引き続きよろしくお願いします。
【E-33~34】にてお待ちしております。
お近くの方、ぜひ!


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