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【小説】うみをうつす

「ウユニ塩湖に行きたいの」

アイスカフェオレの氷を無意味にかき回しながら、ようやくその一言を口にした。案の定、目の前の彼はきょとんとしている。

「ウユニ塩湖って、あの、日本の裏側にある水たまりのこと?」
「水たまりってなによ。あそこすごいんだから。行ったら絶対感動するんだから」

反応を予想はできていたものの、思わずむきになってインスタの検索画面を見せつける。彼はしばし画面を眺め、ふ、と曖昧な笑顔を漏らした。

「あ、今『また“映え”かよ』って思ったでしょ」
「んー、まあ、思った」

そりゃそうだろうけど。彼に見せた画面に指を滑らせていくと、合成写真かと見紛うほどの水鏡と意識高めのキャプションばかり。みんな驚くほどきらきらしていて、もはや恐怖すら感じる。


鬱々とした雨粒、飲みかけのアイスカフェオレ。今日みたいな日はせっかく窓際の席に座れても、自然光が入らないから明るくて映える写真は撮れない。こんな雰囲気は私のイメージに合わないのだ。写真のストックは、もう尽きようとしているのに。

そう、別にウユニ塩湖に行って人生が変わっただなんて壮大な小芝居がしたいわけじゃない。ただ焦っているだけだ。フォロワーや反応の数なんかに振り回されるのはばかばかしいってこと、本当はわかってる。なんだかそのせいでずっと苦しくて、疲れる。カフェオレの表面に映る自分の顔は、今までに見たこともないくらい歪んでいた。

「しゃーないな。行くか、ウユニ塩湖」
「え? は? ほんとに!?」
「行きたいんだろ。行くよ、今から」

突然立ち上がった彼に促されるまま席を立つ。外はちょうど雨がやんで、晴れ間も見えてきた。

本当にウユニ塩湖に行くの? でもパスポートとか飛行機とか、どうするんだろう──勢いよく車を発進させた彼に尋ねたいことはたくさんあったのに、「はい着いた」という声で目覚めるまで、私はすっかり眠っていたらしい。

「着いたって……ここ?」

どこかの海岸らしいその場所は、同じく“ウユニ塩湖”を求めてやってきたであろう人々で溢れていた。

「日本のウユニ塩湖って言われてる場所。もしかしたら行きたいんじゃないかと思って、前からチェックしてた」
「私が行きたいと思って……?」
「本物じゃなくてごめん。でも、最近疲れてただろ。車でずっと寝てたし」

どうやら彼にはお見通しだったようだ。素直にこちらを見てくれない横顔がいじらしくて、思わずぴったりと寄り添う。

「あ、見て」
彼に言われて足元を見ると、水たまりに私たちが並んで映り込んでいた。水が澄んでいて、鏡みたいに透明だ。

ああ、そうか、私はウユニ塩湖になんて行かなくてもよかったんだ。

「写真、撮りに行かないの?」
「ん、もう少しこのままがいい」

水たまりに構えかけたカメラを、私はそっと下ろした。

日本のウユニ塩湖とやらに夕日が沈んでいくのを、二人で黙って眺めた。本当に大切なものは、たぶん、もっと近くてうつらない場所にある。

(1200字)


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今回も、ピリカさん主催のピリカグランプリに参加させていただきました(例のごとくギリギリ)

ひっっっっさびさに小説を書きました……久々すぎていろいろと鈍っておりますが、よろしくお願いします……!


ご自身のためにお金を使っていただきたいところですが、私なんかにコーヒー1杯分の心をいただけるのなら。あ、クリームソーダも可です。