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【小説】寄せては返す、胸

「お願いします、おっぱいを揉んでください」

 勢いに任せて頭を下げると、そのまま全身の血がかあっと頭に上ってくるのがわかった。顔や耳までもが熱くなる。視界にあるのは皺ついたシーツと私の寝巻の膝小僧、あとは隣で眠る猫の尻尾。その先にいる相手は見ていられなかった。私はもう一生頭を上げることができないんじゃないだろうか、いっそのこと穴があったら入りたいくらい、今世紀最大の恥晒し。

「いやいやいやちょっと待って。咲優さゆちゃん、顔を上げて」
「やだ」
「そういうんじゃないから。いいから、とりあえず顔上げてちゃんと話そうよ、ね?」

 何がそういうんでそういうんじゃないのかはさておき、創志そうしくんのあまりもの困りように思わず下げた頭を上げてしまった。一生続くかと思った耐えがたい時間は一瞬にして終わり、おかげで上った血が少しずつ身体にまわりはじめる。
 創志くんは戸惑った表情のまま、まだ赤みの残る私の顔を見つめる。やだそんなに見ないで、と私は両手で顔を覆い隠す。創志くんは、喉の奥に留めていた息をそっと吐き出した。

「どういうこと? お、おっ……ぱいを揉んでほしいって、誰が、誰のを?」
「創志くんが、私のおっぱいを」

 おっぱいという単語を放つことすら躊躇ってしまう創志くんに妙な苛立ちを覚え、わざとはっきりと言ってやる。創志くんは、「本気で言ってるのか?」という目で私を見てくる。

「本気で言ってるんだよ、私」
「いや、でもさ、無理じゃない?」
「何が無理なの」
「だって、だって咲優ちゃん、」
「何よ。言ってみなさいよ」
「揉めるおっぱいがないじゃん!」
「だから揉めって言ってんの!!!」

 そんなにはっきり言わなくても。躊躇うべき台詞はこっちでしょう、と心の中で突っ込みつつ、図星なので正直に傷つく。ぐさり。

「はい、今私は傷ついたので、お詫びにおっぱいを揉めください」
「めちゃくちゃだよもう。というか、なんで今更」
「今更も何も、ずっとだよ!」

 そう、今更も何も、私は生まれてこの方この胸をコンプレックスとして抱えていたのだ。貧相で色気のない、強いて言うなら似合う服が多いという点ぐらいにしかメリットのない私の胸。いや、それでももっとあったところで服の似合う似合わないは変わらないのだ、それくらい私の胸は小さくて情けない。

 せめて平均サイズに、と毎日必死で飲み続けたサプリは身体の上から下に通り過ぎ、毎月箱買いを決めた豆乳もただの朝ごはん止まり、鶏肉やキャベツはそもそも続かず、お風呂上がりのささやかなセルフマッサージもうんともすんとも響かなかった。そしてようやくサイズアップしたかと期待してみたら、単なる生理前の胸の張り。つまり、私としてはもうお手上げだったのだ。

 残された手段はただひとつ。人に胸を揉んでもらうこと。どこかで聞いただか読んだだかで、他人に揉んでもらわなければ胸は大きくならないという話を私は知っていた。
 幸い私には交際2年を迎える創志くんがいるけれど、彼の前ですら私は全てをさらけ出せずにいた。きっと私にちゃんとした胸があれば彼はもっと喜んでくれたのだろうと悔やみつつ、いつ行為に及んだときも私はそれとなく彼を胸以外の場所に誘導した。
 しかし、ついにそうして逃げてきたツケがまわってきたのだ。私は恥を忍んででも、創志くんに胸を揉んでもらわなければいけない。

「でもさ、僕は一度も咲優ちゃんに大きい胸がいいだなんて言ったことはないよ」
「違う、創志くんのために大きくしたいわけじゃない。これは私のためなの。女としてのプライドなの」
「ええ……」

 創志くんは困惑したまま項垂れる。こんな姿を見てしまうと、ひょっとしたら彼は本当に私の胸に興味がないんじゃないか、私は彼に相当な苦行を強いているのではないか、と疑いたくなる。
 けれど、それだけはないという確信もある。積み重ねてきた2年の歳月は伊達じゃない。創志くんの好みも性癖も丸ごと知り尽くしているからこそ、私は彼に協力してほしいのだ。

 彼はぎこちない手つきで、服の上からそっと私の胸に触れてきた。「そういえば咲優ちゃんの胸、あんまり触ってこなかったもんね」と申し訳なさそうにすらしている。丘どころかお砂場の山にすら満たないその膨らみを、まるで生まれたての子猫にでも触れるかのようにやわやわと包み込む。そんなんじゃ意味ないよ、と私は彼の手をぐっと握り、もっと力を込めさせる。その手は思っていたよりも熱かった。

「だ、だめだよ咲優ちゃん、こわれちゃいそうだよ」
「胸なんかいくら揉んでも減らないしこわれないよ。もっと力入れて。たぶん、私の力じゃ足りないんだよ。男の人がしっかり揉まないと大きくならないの」
「そんなことしたらおっぱいだけじゃなくて、咲優ちゃんまで潰れちゃうでしょ!」

 泣きそうな声に顔を上げると、創志くんは潤んだ目で私の平たい胸を見つめている。これじゃあ私が悪者みたいじゃないか。いや、実際私が巻き込んだのだし、間違ってはいないのだけれど。

「やっぱり無理だよ。いくら胸を大きくするためだとしても、僕、これ以上咲優ちゃんのこと強く触れない。僕は咲優ちゃんの胸がどんなに大きくなってもガシガシ揉みたくないし、それより咲優ちゃんのことを抱きしめたい。咲優ちゃんはそのままでいいんだよ」

 どことなくクサい台詞を混じえながら一息に言い放つと、「ね、もう寝よう」と創志くんは私の肩を抱いて一緒にベッドに倒れ込ませた。
 確かに、彼にとっては酷だったのかもしれない。目的はなんであれ、大事な彼女に強い力をかけるというのは彼のポリシーに反するのだろう。仕方なく私は諦めて、そしてひとさじの別の期待をあたためつつ仰向けになった。

 すると待ってましたと言わんばかりに、つい今まで傍で寝ていたはずの猫が胸の上に飛び乗ってきた。そのまま焦点の定まらない表情で、ごろごろと喉を鳴らしながら私の胸を揉みはじめる。思わず隣に寝転ぶ彼と顔を見合わせ、笑いがこぼれた。

「胸揉み係はこの子に一任しよう」
 私がえらそうな口調で言うと、「それがよろしい」と創志くんも妙に改まった口調で言った。

 ごろごろ、ごろごろ、というリズムに乗せて、猫はなけなしの胸を押しては引き、寄せては返し、掴んで離す。しかも猫はさっきの創志くんの力とは比べものにならないほど、容赦なく胸を揉みしだいてくるのであった。この小さな身体にしては相当な力だ。もしかして、これまでの私たちの会話を盗み聞いていたのではなかろうか。

 でも、さすがにちょっと痛い。これでは創志くんに本気を出されても辛かっただろうな、と大人しく考えを改める。育乳の道のりは程遠い。軽い絶望感を抱きつつ、どこかでこれでもいいや、とこの状況に、自分の身体に納得した自分もいるのだった。猫の激しい揉みしだきタイムは、当分終わりそうにない。


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