性を持つすべての人へ


 昨年の11月、大阪市内の某駅で見知らぬ大学生にナンパされ、そのまま腕を引っ張られて相手の自宅まで連れて行かれ、そこでレイプされた。

 それをレイプだと認識するのに数日かかった。わたしにはかつてマッチングアプリに依存していた時期があり、同意のない性行為に慣れてしまっていたのだ。友人に指摘され、それが性加害であったことを初めて認識した。

 相手の自宅のエリアの警察に電話をかけて事件について説明した。しかし、いくら腕を引っ張られていたと言えども、「自分の足で歩いて相手の自宅に行っているので、同意だったとみなされても仕方がない」と、民事訴訟を勧められた。法テラスを紹介され、弁護士の紹介を待った。

 紹介された弁護士からの連絡がなかなか来ないので、1ヶ月後に今度は直接警察に足を運んだ。証拠品の提出、現場再現や調書作成などのために何度か警察に通い、2月頃にやっと被害届を受理された。

 性被害は非親告罪であることから、告訴状を用意しなくても相手を裁判にかけるように依頼することができる。加害者の事情聴取を経て、検察に書類が送られる。先日、やっと書類送検がなされたとの連絡が入った。


 被害を受けてから被害届の受理までに3ヶ月、書類送検までに2ヶ月かかった。一刻も早く加害者の処罰を望む身からすれば、気が遠くなるほど長い時間だ。書類送検の後、起訴されるかどうかが決まる。起訴されればほとんど有罪になるが、不起訴になれば相手は罪を問われない。

 警察に電話をかけた日から、警察に足を運ぶまでの1ヶ月の間に、防犯カメラの記録は消えてしまっていたようだ。わたしは駅で進路を妨害され、抱きつかれ、腕を引っ張られている。その証拠となる映像がないことはかなり痛手だ。

 証拠が足りないということで嫌疑不十分、不起訴になればきっとわたしは一生警察を恨み続けるだろうと思う。たまたま電話で当たった男性警察官が性犯罪に明るくなかっただけで、被害届や調書に協力してくれた女性警察官はとても優しい人だった。それでも、やはり警察の男性中心主義的な側面が、性被害に理解のない社会を生み出しているひとつの理由であると思う。


 事件についての詳しいことは、全てが終わってからまた記事にしようと思う。ただ、いつになるかがわからない。しかし、全てが終わるまで黙っているわけにはいかない。こうして検察からの進展の電話を待っている間にも、性被害を受けている人(男女問わず)はどこかにいる。そして悲しいことに、性被害を受けた人にセカンドレイプをしてしまう人もいる。

 悲しみが繰り返されないように、社会がわたしの周囲からでも変わるように、事件はまだ途中ではあるが、性加害・性被害について感じることを書いておこうと思う。

1.「自分の足で歩いて行ったんですよね?」

 先にも書いたが、これは警察官に電話越しに言われた言葉だ。確かに、腕を引っ張られているとき、歩いているのは自分の足だ。しかし、これは自分の意思で動かしている足では全くない。

 わたしは身長160cmの女で、相手は推定175cm前後の男だ。自分よりもはるかに図体がでかい。まず、力づくで振り払うことは不可能だった。そしてわたしは、幼少期に虐待を受けていた個人的経験から、相手に怯えると大人しく従ってしまう傾向がある(虐待を受けていなくても、同じ心理状況に陥る人はたくさんいると思う)。そしてそのまま相手の自宅に連れて行かれた。

 まさか家に連れて行かれたからと言って、レイプされるとは思ってもみなかった。適当に談笑でもして時間を過ごせば始発で帰らせてくれると思った。だから、相手を逆上させないように、必死で機嫌を伺いながら、その場を楽しく過ごしているふりをした。きっとそうしていれば殺されはしないだろうと思ったからだ。

 相手の自宅では距離を取って話した。すると、だんだん相手は距離を縮めてきて、ついにわたしの身体をまさぐりはじめた。わたしは身体を伏せて、触られないように抵抗した。それでもわたしはひょいと担がれ、ベッドの上に仰向けに転がされ、服を脱がされ、レイプされた。

 性被害の裁判は、主に合意があったかどうかが争点になることが多い(密室で行われることが多いため、双方の主観に頼るしかない)。この一連の流れを同意と呼べるのだろうか?
 わたしがベッドに担がれてレイプされたのは、わたしが大人しく自分の足で歩いたからだろうか?わたしがもっと屈強な精神を持ち合わせており、その場で発狂でもして周囲の目を引いていれば、加害者は未遂に終わり、わたしはレイプされずに済んだのだろうか?

 わたしは、すべての女性は、常日頃から性被害に対抗するために、屈強な精神と肉体を用意しておかなければならないのか?

 被害が発生するのは、加害が起きるからだ。加害がなければ被害は生まれない。それをどうして、被害者の隙をつくように、加害されても仕方がないというように、被害者の行動を責めるのだろう。


2.「その場でやめてと叫ぶとか走って逃げるとかしなかったのはなぜですか?」

 これは匿名の質問箱に送られてきたメッセージだ。

 わたしは某駅で通路を阻まれたとき、抱きつかれたとき、「やめてください」「怖いです」「帰らせてください」と言った。しかし大きな声は出なかった。足にも力が入らなかったし、逃げるなんて選択肢は頭にもよぎらなかった。

 人間は冷静でなくなると、正しい判断ができなくなる。今思えば、叫ぶなり走るなりすればよかったと思う。しかし、目の前に自分よりもはるかに図体のでかい男が立ちはだかり、突然抱きつかれると、思考を恐怖心に支配され、反射的な最善策しか取れなくなる。
 それゆえにわたしは、殺されないようにするために、大人しく従って機嫌を伺うことしか頭に浮かばなかった。

 きっとこの自分が自分でなくなるような感覚(解離)は、被害を受けてみないとわからないと思う。わからないに越したことはない。この感覚がわからないのは、平和な日々を過ごしている証拠だ。わからない人は、どうかこれからもわからないで、平和にいてほしいと思う。

 それでも、わからないならわからないなりに、わかってしまった人に近づくのであれば、寄り添わなければならないと思う。寄り添えないのであれば、近づくべきではない。わからない人とわかってしまった人とでは見えている世界が違う。
 見えている世界が違うのであれば、間違った干渉をしてはならない。わかってしまった人は、わかってしまったことで傷ついている。その傷をさらに抉るようなことはするべきではない。


3.「わざわざ家について行ったのに『レイプされた』という理屈がよく分からない」

 これも質問箱からの引用だ。これは質問者の認知がかなり歪んでいると思うが、きっとこのように思う人は社会に少なくない。

 相手の家に上がることを性行為の合意だとみなす人があまりにも多い。どうしてこのようなバイアスがたくさんの人にかかってしまうのかよくわからないけれど、きっと世の恋愛ノウハウがそのようにできているのだろう。
 気になる異性をデートに誘って、(お酒の力を借りて)いい雰囲気になったら、ホテルやどちらかの自宅へ行って性行為をする、というのがスタンダードな恋愛の攻略ルートとされており、それが世に蔓延っているから、このような認知の歪みが発生するのだろう。

 果たしてそれはどのようなケースにおいても通用するノウハウだろうか?

 もちろん上記のルートで成功してパートナーの関係へと進展する例もあるだろう。しかし、”いい雰囲気”とは片側の主観でしかない。もしかしたら、もう片側は性行為を望んでいないかもしれない。ましてや今回のわたしのケースは、見知らぬ人に腕を引っ張られて家に連行されているのだ。

 これがレイプでなければ何だと言うのか。合意をほのめかすようなことは一言も言っていない。合意とは互いに形成するものであって、片側の勘違いはただの早とちりだ。
 片側が合意でなかった、と言えばそれはもう合意ではない。合意があるように勘違いさせた側が悪いのではなく、勝手に合意だと勘違いした側が悪いのだ。

 この他にもたくさんのセカンドレイプを浴びせられた。この世界は、性被害者に厳しすぎるし、性加害者にやさしすぎると、自分が被害者になって初めて気づいた。
 正直、こんな現実は知りたくなかった。知らずに済んでいた頃が幸せだった。それでも知ってしまったからには、知っているなりにできることをやろうと思う。そうでもしなければ、被害を受けたあの日のわたしが報われない。

 わたしのできることは、これまでとこれからの性被害者に寄り添うことと、性加害の発生しない社会のために人々の性犯罪に対する偏った見方を正しい方へと導くことだ。

 

4.性被害を受けたみなさんへ


 尊厳を踏みにじられて、無理矢理に身体を支配され、痛く苦しい思いをされたと思います。わたしもあの日以来、都会に行くのが怖いです。
 男性に声をかけられないように、都会を歩くときはストリート系のパンツスタイルで出かけることが増えました。好きな服を好きなように着られないことが本当に悔しいです。
 前を向いて歩くことができなくなりました。いつも俯いて早足で歩いています。前から人が歩いてくるのが視界に入ったとき、男性の靴が見えると冷や汗をかきます。

 それでもわたしは人一倍メンタルが強い自負があるので、わたしをレイプしたクソ野郎と、何千人ものクソ野郎を野放しにしている社会と闘うつもりです。書類送検がなされて、事件が警察から検察へと移り、いよいよ本格的に弁護士などを交えた闘いが始まります。

 残念ながら、わたしが処罰させられる性加害者は、わたしをレイプしてきたクソ野郎ひとりだけなのですが、絶対に負けません。と言っても、不起訴になってしまうと何もできないのですが……。

 もし無事に起訴がなされれば、男性中心主義に偏った性犯罪の法社会の認知を、もっと性被害者に寄り添ったものへと変えるために、法廷に立って答弁するつもりです。

 わたしは人一倍メンタルが強いと上に書きましたが、刑事事件化できなかった(させてもらえなかった)あなたのメンタルが弱いというわけではありません。たまたまわたしが運よく理解のある女性警察官に当たって、たまたまわたしがあらゆる理不尽への対抗心が強い性質にあるだけです。

 どうかご自分を責めないでください。闘える精神的・時間的余裕のある人だけが闘えばいいのです。あなたはあなたなりに、理不尽に奪われてしまった平穏を取り戻すために、ゆっくり焦らず生きてください。

 あなたの代わりに、あなたを加害した人物を裁くということはできませんが、わたしの闘いにあなたの苦しみを重ねてくださって構いません。わたしが闘うことで、あなたが少しでも救われればいいなと思います。


5.性被害を受けていないみなさんへ

 どうか、性被害を受けたという話を誰かから聞いたり、インターネットでそのような情報を得たら、まずはあなたの根拠のない見解は捨てて、被害者の苦しみに寄り添ってください。

 被害者になりたくて被害者になる人はいません。みんな、加害者のせいで被害者になってしまうのです。それを「レイプされるお前が悪い」とでも言うように、被害者の粗探しをしないでください。
 被害を受けた人のそれぞれが、自らの命を守るために必死な瞬間を過ごしました。それでも体格差や、体調(酩酊や薬の効果)、心理的作用などで抵抗しきれずに、性被害を受けています。

 改めて説明することでもありませんが、性加害者の肩を持つような発言をセカンドレイプと呼びます。実害の性被害で傷ついた心を、ことば等でさらに傷つける行為を指します。
 見出しの3つは全てセカンドレイプです。セカンドレイプには、本人に加害の意図がないことも多いです。

 性被害を受けたと勇気を出して告白した人に、性被害について積極的に何かを語ろうとするときは、その発言が加害者視点になっていないかどうか慎重になってください。もし自分で判断がつかないのであれば、何も言わないでください。
 もし判断がつかないのに助けを求められたら、わたしを紹介してください(noteのプロフィールにTwitterを連携しているのでDMを送ってください)。あなたの代わりに、わたしが話を聞きます。あなたがその人を傷つけてしまうよりも、当事者であるわたしが何か経験に基づくアドバイスをした方がよっぽどマシです。

 どうか、傷ついた人をさらに傷つけるようなことはしないでください。


6.この記事を読んでいるすべての人へ

 性犯罪に関する法律は、2017年に大幅に改正されましたが、依然として起訴率は低いままです。わたしの事件も、起訴されるかどうかわかりません。
 そして、被害届の受理率も低いです。被害を受けた人の全員が警察に行っているわけでもありません。つまり、泣き寝入りしている性被害者が多いということです。

 起訴率が、被害届の受理率が、被害を受けた人が警察に行く確率が高まればいいという話ではありません。
 性加害が適切に処罰されることももちろん重要ですが、それよりももっと重要なのは、性加害の発生しない社会をつくることです。

 特にレイプのような事件は、上にも書きましたが合意かどうかというところが争点になります。合意のない性行為は加害であることを認識してください。社会的地位の差、互いの関係性などによって、合意であるように演じなければならず、傷つきながら性行為に応じている人もたくさんいます。
 性行為は人生のステージにおけるご褒美ではありません。対等なコミュニケーションの上に成立するものです。性行為に至るまでのそのコミュニケーションは本当に対等ですか?

 人によってさまざまな性的嗜好があると思います。それはすべての人にとって自由です。しかし、すべての人が自由だからこそ、互いの自由がぶつかるときには、理性をもって譲歩し合わなければなりません。暴力をもって自由を行使して許されるのは、アダルトビデオやエロ漫画などのフィクションの世界だけです。
 アダルトビデオの世界はアダルトビデオの世界、エロ漫画の世界はエロ漫画の世界です。それらの世界での価値観を現実に持ち込まないでください。

 性加害は身体への暴力だけではなく、精神への暴力でもあります。性加害は、その人から人間性を剥奪して、記号としての肉体、言わば容れ物へと押し込め、そこから自身の快楽だけを搾取する行為です。
 そんな身勝手な行為を擁護する余地がどこにありますか?


 どうかできるだけ多くの人(男女共に)が自身の性の加害性について自覚的であり、これから被害を受ける人ができるだけ少ない社会を願います。そのためにわたしは闘うつもりです。

♥𝓫𝓲𝓰 𝓵𝓸𝓿𝓮♥ をください♡ なぜなら文章でごはんを食べたいので♡